神にある希望~ローマ5:2-5

希望の基はなんでしょうか?力でしょうか?知恵でしょうか?権力でしょうか?お金でしょうか?情熱でしょうか?それとも人間関係でしょうか?力であれば年齢と共に衰えます。知恵もすべてのことに対して最善の結果を出せる保証はありません。お金があっても正しく使うことが出来なければ意味がありませんし、何かのきっかけで失ったり、価値がなくなることもあります。情熱があっても方向性が間違っていては意味がなく、人間関係は時にもろいものです。
私たちの希望の基が神様の愛から来るものであればその希望は状況が良くても悪くても、また試練や困難の中からでも忍耐から品性、品性から希望へとつながっていきます。その行程の中で金から純金に変えられるように練られていくのです。
私たちの信仰が目覚めるのはどのような時でしょうか?喜びの時に感謝を献げ、苦しみの時に神を見上げているでしょうか?困難を覚える時に「なぜこんなことが?」と戸惑っていないでしょうか?神様の御手の中にあって感謝して受ける時に主が必ず益としてくださることを見いだします。また困難を通ったからこそ人の痛みも分かる者へと変えられます。その道は私たちの信じる主イエス・キリストが通られた道です。因果応報の考えと聖書の教えは異なります。主が私たちに状況によらない希望を与えてくださり、主の平安で満たし、そして解決の道を備えてくださることを期待していきましょう。

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