主にある管理者~使徒2:42-45

「高ぶり」は私たちが陥りやすく、そして気をつけてそうならないように祈り、主の前に遜ることによって対処していくべき問題です。信仰生活の中で主がしてくださった素晴らしい結果が伴うとそのことを証したりする機会もあると思います。主がしてくださったといいつつも自分の信仰が優れていたからとか良く祈ったからというどこか自分にフォーカスしてしまうこともあると思います。
もちろん信仰はとても大切なことです。疑うことなく主に期待することは簡単にできることではありません。しかし恵みは主のものであり、恵みを注いでくださるのも主であることを私たちはしっかりと覚えておく必要があります。そのうえで私たちは最善を備えていきます。
そこでこの「高ぶり」から守られるひとつの助けとなる考え方に管理者という考え方を聖書から導きだすことが出来ます。賜物の管理者であり私たちに与えられている時間や経済も主から与えられているものとして管理者として認識すると主の必要のためにどのように用いるかという考えになります。
管理者は管理を任せてくださっている主人に忠実であるべきでありまたそこには信頼関係があります。主との関係をそのように忠実であり、信頼があるものであり、そして私たちが喜んで従順していけるよう主は恵みも注いでくださいます。主は私たちを奴隷のようには扱わず、また使用人のようにも扱っておられません。私たちを子として扱ってくださるからです。そこにある関係は損得ではなくただ愛を土台とした相互関係です。主から多くを委ねられた者として主と共に歩んでいきましょう。

Facebook にシェア
このエントリーを Google ブックマーク に追加
[`yahoo` not found]
LINEで送る