心を燃やされるキリスト~ルカ24:13-34

イエス・キリストの復活を通して弟子達の中には歓喜と共に疑いも出ていました。自分で確かめないと信じられないという立場をとったトマスの意見も無理はないと思います。しかしイエス様はそんなひとりひとりに様々なタイミングでご自身を現わされていきました。その結果、弟子達は迫害の只中の激動の時代を駆け抜けていきます。トマスは遠くインドまで宣教しながら行くほどの働きをしました。ペテロは殉教をも恐れない信仰の器となっていました。イエス様の十字架前後とは全く違うその変化はどのようにもたらされたのでしょうか。
イエス様の復活の後、ひとりひとりに現わされたその箇所を見ていくと「目をさえぎられていて」という表現が出て来ます。先入観という感覚か、霊的に覆われていたのか詳しいことは分かりません。大切なのは彼らは確実にふつうなら見えるはず、理解出来るはずのものが分からない状態にあったところから目が開かれたという体験をしています。このプロセスの中で最終的なきっかけとなることがあった時にイエス様は姿を消されています。
大切なのは今イエス様が見える。感じられるということ以上に私たちが確信を持ってイエス様との関係を持つこと、私たちの心をイエス様の恵みによって燃やすことです。主の愛に生かされ、燃やされていきましょう!

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