粘り強い愛~ガラテヤ6:8-10

「善を行うことに飽いてはいけません」とガラテヤ人への手紙に記されています。そして「失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」と励ましています。飽きるというよりも際限がないことや終わりが見えないこと、また様々な疲弊が来ることが実際的な壁ではないかと感じます。原語解釈としては「やる気を失う・諦める・落胆する」という広がりがあるのでニュアンスは理解しやすいのではないでしょうか。

 そこで諦めずに継続して善を行う。また愛を注ぐためにはなにが大切かというと神様と自分との関係の確立と共に関係性をいかに深めていくかということが大切だと感じます。愛着を持つとかそういう感情も関係性の中で大切だと思います。愛情があるからこそ諦めません。そして打開策を模索し、継続して犠牲を払うことが可能になります。

 愛とは犠牲を伴うものなので思ったような結果に繋がらない場合、そこにある種の痛みを感じることもあるでしょう。しかし、諦めずに種を撒くこと、パンを水の上に投げ続けるならば後の日に見いだすという例えなど多くの箇所を粘り強く愛すること、善を行うこと、宣教することなどと関連して聖書は教えています。私たちの中にはそこまでの愛がないかも知れません。だからイエス様の愛が必要なのです。だからこそ聖霊様の助けが必要なのです。主に期待し、主を見上げて、主と共に粘り強く愛を実践出来る者とされていきましょう。

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