信仰による義~ローマ4:11-13

 アブラハムの存在は今の世界にとっても影響力があるものです。聖書は彼を民族の父としてそしてなによりも信仰の父として記し、そしてアブラハムの人生を通して私たちに対して信仰がどのようなものなのかを教えるためにその人生を記録しています。

 アブラハムの生きた時代は律法が制定されるより以前です。そして律法という基準が存在しない時に彼の信仰を神様は認められ、そして信仰の父とまで後の時代で呼ばれる存在となりました。彼の人生を見る時に大切なポイントは神様が語られたことを最大限の尊敬を持って受け止め、信じ、実践したことです。聞くだけの人、聞くけど疑う人、実践してみたけど諦めてしまう人に彼はなりませんでした。行動において神様が願っていたのとちがう方法をとってしまったこともあります。しかし、そのすべての思いと行動の軸には神様から語られたことへの忠実さがありました。ですから人間的失敗や語られた約束と現実とのギャップの間にある葛藤を乗り越える信仰がアブラハムの信仰として記憶されているのです。
 信仰とは失敗しないということではありません。信仰とは目に見えない神様からの約束を信じ、人間の知恵と力をこえたかたちで働かれる神様を信じることです。神様の語られたことに信頼し、挑戦していくことを選び取り続けることです。そこに信仰による義があるのです。律法は私たちの行動の結果を見るので非常に判断しやすいですが神様は私たちの心を見られます。信仰によって生きる者と日々つくりかえられていきましょう。

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