週報
試練と聞くとチャレンジ精神がよほど旺盛でない限り出来れば避けたいと思う方が多いと思います。辛い事や悲しい事やいろいろあるかも知れませんし・・・でもそれを乗り越えて結果が実感出来た時に試練を通ったことを喜ぶことが出来ます。そしてまた試練に立ち向かうことが出来たり、また試練の中にいる人を励ましたり出来るようになっていることでしょう。そうしてみると試練とはどのように受け止め、どのように通っていくか次第で益になるということが良く分かります。しかし時として試練の中で折れてしまうこともあるでしょう。頭で分かっていても心がついていかないこともあるでしょう。そんな時に神様が見えないように感じたり、激しい孤独感を感じることもあるでしょう。そんな時には神様の前で大の字になって見ることも必要です。落ち込むにしても愚痴を言うにしてもダビデがしたように神様の御手の中にとどまり続けること。そしてそこから立ち上がることが出来ればきっとまた歩き出すことが出来るようになります。聖書の中には乗り越えることの出来ない試練は神様は与えられないとあります。ここで注意が必要なのは試練と自分がしてきたことの刈り取りを同一視してはいけないということです。でなければ自分に都合の悪いことはすべて試練であり神様のせいにしてしまうことになります。悔い改めるべき時に神様につぶやいていてはどうしようもありません。それこそチャンスが生かされない状態です。今ある状況をしっかりと見極めて、祈り望んでいきたいですね。