週報より

誇りやプライドなどにはいろんな価値観があり、世界観があります。自分と価値観が違う人のプライドは全く理解出来ないものであったり独りよがりないわれのないものに見えるかも知れません。例えば車にこだわる人であれば自分のより大きく立派な車が来ると道を譲り、なんだかみじめな気分になるかも知れないですね。でも逆に自分のより小さくて古い車が来ると道を譲るどころか強引に自分が割って入るかも知れません。中にどんな人が乗っているかではなく外見だけで判断し、一喜一憂しているわけです。これはあくまで例えですから内容が家であったり財産であったり仕事であったり容姿であったりいろんなものに置き換えて見るときに自分が何をプライドとしているのか?ということが分かってきます。そういった価値観は世代や成長と共に変わってはいくでしょうが、いつの間にか埃が積もるかのように私達の中に積もっていくものです。しかし聖書は貧しい境遇を誇りとしなさい。また富んでいる人は低くされることに誇りを持ちなさいとあります。普通の価値観では昇格、昇級、昇給など上に上にというのが当たり前に望ましいことでしょう。しかし上にされる時こそ謙ること、また謙らざる負えない状況であればそのことを感謝しなさいと聖書は記しています。それはキリストに見る品性そのものです。どんな時もどんな人にも謙遜に振る舞うことが出来ることはどんなに素晴らしいことでしょう。そしてそのような生き方こそ神様に喜ばれるものであり、状況に左右されない素晴らしい価値観であり、誇りなのです。

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