週報

相互理解ということばがあります。どちらかが一方的に知っていて優位に立つといったことが多い社会構造のなかで、このことがどれほど大切かということを考えてみたいと思います。まず相互ということはお互いにということですね。上下関係で成り立つことが多い人間関係において、相互となるとお互いに相手の立場に立って考えるということが求められます。簡単にいうと言い方ひとつとってみるとして、「自分だったらどう言われたらうれしいだろうか?」また「どういわれたら腹が立つか?」ということを考える必要があります。知らないうちに相手に不快感を与えたり、それを通り越してストレスを与えたり恐れを与えてしまっているケースも少なくないと思います。そこで聖書ではそれぞれがイエス様に対するように真心で仕えあいなさいとあります。これは他方に向かって振りかざすみことばではなくそれぞれが自分に向けて用いてこそ価値があるみことばです。そういった方法で相互理解していこうとすると必ず自分の至らなさを痛感することでしょう。だからこそ私達は謙虚になることができるのだと思います。そして主を待ち望み、変えられていくことが出来ると確信します。そういった相互理解に立つ人間関係が自分たちの周りに少しづつでも広がっていったらどんなに素晴らしいことでしょう。誰かではなく、まず自分から、少しづつでもはじめていきましょう!

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