週報より

以前富士山に登った時にひとつの発見をしました。それは登るよりも下るほうが気をつけなければならないし、たいへんだということでした。登るのはそのときにはたいへんだったのですが、下る時にちょっとの下り坂でも足が思うように進まないという驚くような体験でそれを実感しました。上に進む方が重心の移動がどれほど楽なのかということを知ったのです。それを生活に当てはめてみたときにもひとつの発見がありました。それはたとえば裕福になっていくことよりも貧しくなっていくほうがたいへんだということです。なぜなら、その人にとっての当たり前というひとつの基準が違うからです。何もかもそろっていて多くの財産がある方がいきなりアルバイトで得たものだけで生活出来るでしょうか?いままで当たり前にしていた生活が当たり前でなくなった時に不自由を感じることでしょう。でもその逆はどうでしょうか。それは快適過ぎてちょっとどうしていいか分からないかも知れませんね。イエス様は天国で何不自由ない状態でした。その天の栄光を捨てて地上に来てくださいました。時間、空間、物質、重力など様々な制限のある不自由なところに私たちのために来て下さったのです。
愛なくしてとてもその理由を説明することはできないでしょう。これからクリスマスシーズンに向かっていきますが、神様の無限の愛とイエス様が注いで下さった恵み、いつも祝祷で聞いていることばですが、この意味を深く味わい、知り、そして応えていけたらどれほど素晴らしいことでしょうか。恵みのうちに歩んでいきましょう。

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