日本基督教団 富士吉田教会

ようこそいらっしゃいませ。日本基督(キリスト)教団富士吉田教会は、山梨県富士吉田市にあるプロテスタントの教会です。

礼拝説教

説教本文・(時に要約)を掲載しています。音声配信もあります。

2017年1月29日 「家の中に入り、手を取り」 今村あづさ伝道師
マタイによる福音書9:18~26

同じ箇所を、二回、やろうと言うことで、今日は指導者の娘の話です。
前回、お話しした時は、二人の女性の癒しの共通点から、マルコは異なる伝承を結び付けたのだろう、と言うお話をしました。その時には、今回の説教の内容の方向性はあったのです。しかし、その話をしてから、今回、もう一度、聖書を読んでみて、いやいや、もっと言わなければならないことがあるな、と思いました。そして、一旦説教を準備してから、疑問のあるところを、もう一度調べ直しました。今日の説教は、まとまらないかもしれませんし、議論ばかりが続いて、聞きづらいかもしれませんが、間違ったことを言わないようにといろいろ考えた結果です。

最初に、前回、話しの流れから外れてしまうために話せなかったけれども、どうしてもお話ししておきたいことがあります。それは、旧約聖書から新約聖書に向かって、不妊、子どもに恵まれないことを、どのように考えてきたか、と言うことです。
旧約聖書の最初の方、律法と呼ばれる部分では、不妊は神の呪いでした。神に逆らう者の当然の報いでした。けれども、イザヤ書の54章では、不妊の女、子を産まなかった女よ、喜び歌え、と書かれています。53章の苦難の僕、つまり主イエス・キリストが贖ってくださる時、身体的なまた個人的な不妊は癒され、彼女たちの子供らは、夫ある女の子供らよりも数多くなると、主は約束してくださったのです。これは、教会において、多くの神の民が集められると言うことです。教会に集められた神の子供らは、教会の兄弟姉妹によって、神の民として育まれるのです。
律法では、父母は、子どもたちを神の民として、信仰を伝道しなければならないと書かれています。教会が、教会学校を大事にして、教会に集まる子どもたちを教え、導こうとしているのも、このためです。教会に肉の親子関係はなくても、霊の親子関係があります。信仰の兄弟姉妹がいます。
21日には、山梨キリスト教一致懇談会が主催の連続祈祷会の第五回として、富士吉田バプテスト教会で証しをしました。そこでも、教会の兄弟姉妹に育てられてきた経験をお話ししました。教会で出会った人々は、わたしの心の中では、わたしのお母さんであり、親戚のおばさんであり、人生の理想であり、愛する妹たち、弟たちでした。

さて、少女の癒しについて、お話を進めていきましょう。

断食の問答をしているイエス様のそばに、ある指導者がやって来て、ひれ伏して、こう言います。「わたしの娘がたったいま死にました。」マルコによる福音書では、「死にそうです、助けてください。」と言ってやってくるのですが、途中、イエスの服に触れる女の癒しがあって、その女が人前に出るのを躊躇して、それから長々と説明があって、群衆が押し迫って来て、…なかなか行けなかったから、行きつかないうちに娘が亡くなって、家の人が亡くなりました、と知らせに来ます。けれども、マタイでは、娘はもう、亡くなったことになっています。
この指導者の人は、「娘は死にました。でも、手を置いてくだされば生き返るでしょう。」と言っています。
前回の全体構想では、この娘の「死んだ」というのは、霊的に亡くなった、つまり神様との関係が切れてしまったということを前提にお話ししようと考えていました。マルコの物語では、そう考えることも出来ると思うのです。しかし、マタイの物語では、どうしても、肉体的な死を迎えてしまった、という場合を想定しなければならないと思います。
葬儀で、わたしたちは、何を願うのでしょうか。私たちが別れを告げる人が、神様に迎えられることを願うのです。神の食卓に招かれ、共に再会を喜ぶ。キリストに結ばれることによって、キリストを着せて戴いて、神の国へと旅立つのです。
生き返るとは、肉体的には死んでも、神と共に生きる永遠の命を受けると言う意味があります。24節でイエス様は「少女は死んだのではない。眠っているのだ。」と言っていますが、この「眠っている」と言う言葉もまた、パウロの手紙の中では、頻繁にキリスト者の死者について使われる言葉です。
神の国で、神の栄光を現す一番素晴らしい姿で、生き続ける。そして、わたしたちは神の御前で、愛する者たちと、もう一度、再会する。「娘は死にました。でも、手を置いてくだされば生き返るでしょう。」指導者である娘の父親は、そのことを願って、イエスのところに来て、ひれ伏し、願ったのです。
しかし、この父親の願いには、問題となることがあるかもしれません。マルコによる福音書では、少女は12歳になっていた、と書いてあります。けれども、マタイによる福音書では、少女の年齢が明かされていません。思春期を迎えていたかもしれない。けれども、生まれたばかりの乳呑児であったかもしれません。マタイによる福音書からは、さまざまな可能性が考えられます。
娘は、洗礼を受けていたのでしょうか。洗礼を受けていたとしても、自分の意志で信仰告白をしていたのでしょうか。
山梨分区の教団の教会は17教会・伝道所、そして山梨英和に教務教師がいます。月一度、県内の教会で集まって教師会と言うのをやっています。昨年度の教師会の勉強会では、洗礼準備のことについて、韮崎教会の小島仰太牧師がお話をなさいました。小島先生は、東京の教会で、当時8歳の少女に洗礼を授けたそうです。それも、幼児洗礼ではなくて、本人の信仰告白を受けての洗礼だったそうです。
私たちは、形式的に、小学生では早いと考え、洗礼を子どもたちにあまり薦めません。けれども、小学生は小学生なりの言葉で、洗礼の意味を正確に捕えることは可能だと言うお話でした。それは、一人一人の子どもにふさわしい時があると言うことで、一概に、何歳になれば大丈夫、と言うことでもないようです。幼児洗礼を行わないバプテスト教会でも、最近は小学生に洗礼を授けることが当たり前になってきているということです。
また、障害を負っている人々でも、何らかの意志表示ができるから、信仰告白は出来ると言うことです。
子どもが自覚的に信仰告白して洗礼を受けることは出来る、と言ったとしても、限度があります。年齢や、傷害の程度によって、自分で信仰告白ができない人々は、確かに残ります。
幼児洗礼についても、考えてみなければなりません。中世は、自分で信仰告白できない幼い子どもたちが、栄養不足やさまざまな感染症で大勢亡くなる時代でした。そんな中で、幼児洗礼を授けることは、子どもたちが神の国に行ける確かな保証であると、考えられました。小さな亡骸を前にして、み国に受け入れていただけることを教会は祈り続けました。それは残された父母にとって、大きな慰めであったことでしょう。
けれども、本人の信仰告白がない洗礼に、どんな意味があるのだろうか。そこに、救いの確かさはありはしない、と考える神学者は、今日、たくさんいます。
幼児洗礼を、割礼と比較する議論があります。旧約聖書では、生後8日目に、男の子には割礼を授けました。先ほどもお話ししたように、それは、神に選ばれた民として、この子どもが神の恵みを覚え、神の恵みの中に生きることができるように、父母が教え、導くのだという責任を現すものでもありました。
現代でも幼児洗礼は、親の信仰に基づいて行われます。親と教会が、この子どもを神の子どもとして、迎えられるように、変わらない導きを求めて、授けるものです。この場合、幼児洗礼は、将来の信仰告白を、親が教会に対して約束するものとしての意味合いが強くなります。
偉い神学者でも、幼児洗礼は要らないと言う人もいます。けれども、もしも、「別に信仰は、君の自覚に任せる、あっちの神さまでもこっちの神さまでも、いいんだよ」と子どもに教えるのだとしたら、やはり問題があると思います。ですから、幼児洗礼の問題は、簡単に結論付けることはできないのではないでしょうか。
ところで、洗礼を授ける司祭の数が足りていなかったり、教会が遠くにしかないような地域では、生まれたばかりの子供が、受洗する前に亡くなってしまうと言うこともあります。今でも、死後洗礼、つまり亡くなった子どもの葬りの前に、洗礼を授ける教会があります。もちろんこのことは、議論の的ですし、一般的ではありません。
一方で、幼児に罪はないから、罪の赦しは要らないと考える人たちもいます。本当に、子どもたちには罪がないのでしょうか。しかし、そうだとすると、幼児にとってキリストの十字架など、必要なくなってしまいます。しかし、聖書で私たちは、イエス・キリストが、幼子たちを招いたことを知っています。それは、だれにとっても、つまりそれが幼児であっても、十字架が救いであることを示しています。
幼児にも潜在的な罪があるとして、罪の悔い改めをする時間と機会がなかっただけなのだとするなら、天国に行く前に「煉獄」と言うところがあって、そこで悔い改めの期間が設けられるのだ、と考える人たちもいます。幼い子どもたちが、牢獄のようなところで、悔い改め期間が来るのを待つというのは、信じられない議論です。

今日の聖書箇所の25節で、主イエスは、群衆を外に出し、家の中に入り、少女の手を取りました。そうすると、少女は起き上がりました。少女は「眠って」いるのですから、自分からは行動しません。しかし、救いの御手はやって来て、家の中に入り、少女の手を取るのです。
聖書の元のギリシア語では、「家の」と言う言葉がありません。「中に入り」とだけ書かれています。この「中に入る」と言うのを、「人の心」の「中に入る」と読むことも出来ます。そして、「手をお取りになった」。ただ手を置くのではなく、ご自分の支配に入れてくださったと言う意味合いがあります。つまり、少女の主となってくださったのです。それによって、少女は起き上がりました。神様と生きる永遠の命をいただいた、と言う意味です。
救いは、あくまでも神様の側から行われます。神様は、身体が形づくられる前から、この人を救おうとお決めになってくださっています。子どもの信仰告白が自覚的になされているかどうかに関わりはありません。神様に出来ないことは何もありません。私たちは、神様に信頼して、み手に委ねるのです。


お祈りいたします。
在天の父なる神様、あなたは、主イエスをこの世界に遣わしてくださり、固く閉ざした扉をも開き、手を取ってあなたと共に生かしてくださいますから、感謝いたします。私たちが、復活の主イエスの力を信じて、生きていくことができますように、主イエス・キリストのお名前によって、お祈りします。アーメン

2017年1月15日 「二人の女性の癒し」 今村あづさ伝道師
マタイによる福音書9:18~26

今日の箇所は、マルコによる福音書ではとても長くて、マタイによる福音書の2倍もあります。例のごとくマタイは、マルコの箇所を、自分が大事だと思われるところだけを残して、大胆に短くしてしまいました。けれども、物語の大枠は、そのままにしています。
物語の大枠とは、ある父親が娘を助けてくださいとイエスのところにやって来る、イエスは出掛ける途中で出血の止まらない女性を癒す、そして父親の家に行って死んだ娘を生き返らせる、と言うものです。
聖書を研究する学者たちによると、父親の依頼で娘を生き返らせるお話しと、出血の止まらない女の癒しは、もともと、別々に伝承されていたお話だと言うことです。マルコが、二つの物語を結合させて、一つ続きの物語にしたのだそうです。
二つの奇跡の物語を一つにしたのは、関連が深いからでしょう。いずれも女性への奇跡の物語であると言うことです。けれども、女性の癒しということであれば、暫く前に学んだペトロの姑の話も同じことでしょう。ここではやはり、女性の性に関連する汚れの問題として、一括りにされているということではないでしょうか。
旧約聖書では、女性の汚れについて、レビ記の15章19節以下に記述があります。それによると、生理期間とされる1週間は女性は汚れているとされ、その身体や寝床や腰掛けも皆、汚れているというものでした。この「汚れ」に対する感覚は、出産についても同様です。日本人の「汚れ」とか「物忌み」とかいう風習とも、とてもよく似ています。多分に呪術的な考え方ですから、申命記では規定がありません。けれども、主イエスの時代のユダヤ人は、この規定を積極的に守ってきたのでした。それは、律法が神様と幸せに生きるようにと、神様からくださったかけがえのない贈り物だからです。
これまで、旧約聖書の律法によって「汚れ」ているとされてきた人々が清められ、罪赦され、癒された物語が続きました。たとえば重い皮膚病であったり、異邦人であったり、徴税人であったりと言った人々です。今日の箇所もまた、律法の支配する社会生活の中で、神の前から遠ざけられ、神の前に死んだ人々が、甦らされる物語です。主イエスは、律法によって言われなく神の前から退けられている人々の罪の赦しを宣言し、神の民を取り返してくださっているのです。
実際、女性を取り巻くこのような規定は、彼女たちを社会的にも、宗教的にも、身体的にも拘束し、貶める規定でありました。ドキュメンタリー番組で、現代のユダヤ人の律法遵守という意味合いから、初潮を迎えた少女の生理中の生活について見たことがあります。それによると、彼女たちは、寝床から離れることも出来ず、食事もベッドで取ると言うことです。そして、食事の食器は家族と異なるものを使わなくてはならず、その食器を手渡されることもありません。
もともと女性には、律法の中で、さまざまな制限がありました。神殿では、一般男性が入ることのできる所も、女性は入ることが制限される場所がありました。これに加えて、汚れていれば、神殿に礼拝することも出来ません。それは、宗教的な共同体から除かれると言うことであり、社会的にも疎外されることを意味しました。
マルコによる福音書では、指導者の娘が、12歳であったことが記されています。思春期を迎え、これまでと全く異なる律法の規定を守っていくことが要求される年齢になることの重さを感じさせられます。
12年間、出血が続いている女性の場合は、そういったことに加え、さらに重い問題が投げかけられていると思います。不妊の問題です。
出血性の病気というと、子宮筋腫という病名が思い浮かびます。現代でも、子宮筋腫の積極的治療、つまり手術による摘出は、ほとんどが妊娠可能な年齢の女性に限られます。子宮筋腫の摘出は、不妊治療の大きな柱の一つなのです。
不妊は、ユダヤ人社会では、ぜひとも避けたい状況です。日本でも、「嫁して三年、子無きは去る」ということわざがありましたが、不妊は、離婚の大きな理由になるからです。律法の規定では、離婚の理由を狭くとらえ、不倫以外は認めないという教えを持つ教派もありましたが、料理が下手とかといった、もっと広い理由を認める教派もありました。出血に悩む女性は、マルコによる福音書によると、病気のために全財産を使い果たしたと書かれています。多少の財産を持っていたとしても、治療代に持って行かれる。そして多分、婚家(こんか)からは離婚を突き付けられる。実家へ帰れば、一家の恥とばかり、目立たないところに押し込められ、肩身の狭い思いをして、暮らしていたはずです。
身体的な問題に加え、宗教的な問題、そしてそれは社会的な状態へと、困難な状況が続くのです。この人は、このことを神に訴え、祈ることさえ、神殿に詣でることができなければ、不可能であったのでしょう。
だからこそです。だからこそ、「この方の服に触れさえすれば直してもらえる」と思うのです。このような思いに、とりつかれているのです。神殿に礼拝することはできない。出血が止まらない限り、祭司によって汚れが清められることもない。離婚され、財産を使い果たし、頼みの綱は、この方だけである訳です。
この思い込み、「主イエスの服に触れば」というのは、何と言うか、自分で神様の身許に出て来ていながら、献げ物を持ってきている訳ではありません。神の栄光を現すすべもまた、何もないのです。しかしその思い込みを、主イエスは「信仰」と呼んでくださるのです。信仰と呼んでくださり、その信仰があったから、あなたは救われた、という。信仰というか、治りたいと言う願い、祈りのようなものでしょうか。その祈りを神は救いあげてくださって、この人をご自分の力の及ぶところへ連れて来てくださったのです。
「娘よ、元気になりなさい。」と主イエスは仰います。「娘よ」という呼び掛け、優しい呼び掛けです。ヘブライ語で「娘よ」と呼び掛ければ、それは「神の娘」と言うことです。神様の子ども。汚れたとされて神の前に出ることができず、社会的には下げずまれ、肩身の狭い、精神的にも肉体的にも苦しみの中に沈んでいたこの女性は、確かに神に愛されている子どもであるという、主イエスの宣言なのです。
「元気になりなさい。」と言葉が続きます。この言葉は、恐れるなと訳されているところが多いです。挫(くじ)けるな、というところでしょうか。インマニュエル、神が共におられる方が、罪から救ってくださるのです。この女性の状況は、絶望的なものでしょう。しかし、どこにも救いが見えないような状況の中でも、神は救いを準備しておられる!神に愛される存在として、神に愛される資格のある存在として、彼女を取り戻してくれるのです。

人間的には絶望的な状況の中でこそ、神は救いを準備されています。私たちはそれが見えていません。しかし、確実に救いは準備されている。それは、あなたが神に愛される存在であり、神に愛される資格のある存在だからです。私たちは、絶望的な状況の中で、そのことをすっかり忘れてしまいます。希望を失ってしまいがちです。元気になりなさいと、主イエスが仰ってくださっています。挫けるな、へこたれるな、と励ましてくださっています。「あの方の衣に触れさえすれば。」神はわたしたちの願いをたちどころにかなえてくださるでしょう。この願いは、なんと、不器用な祈りでしょうか。しかし、「共にいてください」と祈ることさえ、主イエスが傍らにいて、励ましてくださっているということなのではないでしょうか。
信頼していきましょう。この世に勝利した主イエスが共にいてくださるのです。お祈りいたします。
父なる神様、あなたは主イエスをこの世へと生まれさせてくださり、わたしたちが罪に沈み、一人では浮かび上がることも出来ない所まで、そのみ衣の房を伸ばしてくださっていますから、感謝します。あなたに信頼してついて行く時、わたしたちには永遠の命が約束されています。すべてを感謝して、主イエス・キリストのお名前によって、お祈りいたします。アーメン

2017年1月8日 「最も重要な誠命(いましめ)」 金泰仁牧師

ファリサイ派は、律法の掟に厳格に従うことによって神を愛することを示そうとしていました。彼らにとって、労働が律法で禁止されている安息日に主イエスが手の萎えた人を癒したのは、赦しがたいことでした。危機感を抱いたファリサイ派は、「律法の中で、どの掟が最も重要であるか」という難題を持って、「律法の専門家」をイエスの元に向かわせたのです。
イエスは「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第一の掟である。 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』 律法全体と予言者は、この二つの掟に基づいている。」と申命記6:5とレビ記19:18の言葉で答え、「神を愛すること」と「隣人を愛すること」を不可分なものとして語られました。
ファリサイ派にとって、これら二つは異なるものだったのです。彼らに対して主イエスは、「あなた方は、神を愛しているのか」と問いかけました。この問いは、私たちに対しての問いかけでもあります。
私の妻の祖父は、牧師として神社参拝を拒否したために逮捕され、妻の父が学徒出陣することと引き換えに釈放されました。私たちにも神社参拝という偶像崇拝によって神を愛せなかったという歴史があります。御子の犠牲はそのような私たちを赦すためのものでした。これによって神は、人との間にある隔てを取り払い、隣人として私たちを愛してくださっていることを示されました。
私の所属する在日大韓横須賀教会は、会堂建築の資金で困っていた時、ある日本基督教団の教会の役員の方が個人的に保証人になってくださったことによって、資金を借りることができた。隣人を愛するとは、この隣人を助けなければ、この隣人はどうなるのか、と言う思いであり、自分たちだけ、自分たちだけ良ければよいという思いでは無い。
私たちはもともと、神の似像に造られました。しかし、「最も重要な誡命」に従うことができるのは、イエスにより神の隣り人とされた者どうしだからではないでしょうか。

2017年1月1日 元旦礼拝 「大正六年 初夏」 今村あづさ伝道師
ペトロの手紙一衣装3~9節

昨年の10月16日に、北紀吉牧師を招いて、富士吉田教会の百周年記念礼拝を行いました。午後の講演会の後で、山地進兄弟が、この掛け軸を見せてくださったので、覚えている方も多いと思います。
山地進さんは、平成24年から5年間、「文学と歴史」という山梨県の人たちを中心とした雑誌に、萱沼実の交友関係についての記事を掲載しました。萱沼実は、先ほど子どもたちにお話ししたように、教会の創立者である荒井保に聖書の販売員を紹介した人です。この人が、山地さん兄弟のお祖母さんのお兄さんに当たる人でした。
山地進さんと洋右さんの兄弟は、2015年も、2016年も、クリスマスにおいでになって、富士吉田教会にクリスマス献金をしてくださいました。今年は、クリスマスの前の週の月曜日にいらっしゃり、この掛け軸をお貸しくださいました。中田重治の方は、ちょっと裏張りが破れそうな所があったので、吊り下げませんでした。
もともと、ご兄弟のお父さんは大月でテーラーをやっていて、息子の一人は教会から富士道に出た斜め向かいの「テーラー山地」さんです。着物ではなくて、洋服を着ると言うのは、戦前では新しい試みだったでしょう。昔の言葉で言えば、ハイカラな一家だったと言うことでしょうか。
萱沼実さんの方は、もっとインテリっぽく、東京に法律事務所を構え、御親戚と一緒に、神保町から三崎町のあたりに書店を開きました。水道橋の駅の近くの「丸沼書店」と神保町の交差点近くの「友愛書房」です。丸沼書店が社会科学関係の本の専門店、友愛書房がキリスト教関係の専門店で、どちらもよく知っているので、びっくりしました。
山地さんが、いらっしゃってから、何日か後のこと、今度は滝口さんという方から何度かお電話があって、とうとう訪ねて来られました。この方のお父さんの昇さんという方が、昔、滝口印刷所という印刷屋さんをやっていたのです。そこで印刷した泉田精一牧師の説教集「荒れ野に叫ぶ者の声」という本を届けて来てくださいました。

大晦日にテレビで「ホビットの冒険」を放映していました。冒険の最初は、主人公が思いがけず、生活習慣の異なる人々と冒険旅行に出かけることになると言うものです。知らない人々が次から次から自分の居心地のいい家にやって来て、勝手に酒盛りを始める。そして、実はこのホビットは優秀なんだ、と持ち上げられて、気がついたら、むらむらと、冒険に出掛けたくなり、結局一緒に行ってしまう、という始まりです。
勝手に上がり込んで、酒盛りを始められた訳でもないし、一緒に冒険に出掛けた訳でもありませんが、山地兄弟と滝口印刷さんがいらっしゃった後には、本と雑誌が残り、元旦の新年礼拝は創立記念礼拝だ、ということで、出掛けるのではなく、自宅に籠って文字の冒険に出掛けることになりました。

荒井保の回心物語は、先ほど、子どもたちに話した通りですが、それ以上に進むことは、なかなかできませんでした。「宣教55年記念 一粒の麦」という本があります。昭和47年に発行されています。これは、当時の荒井保に連なる人たちが、原稿を寄せているものですが、これを読んでも、荒井保がなぜ悩むようになったのか、そして35歳で亡くなったのはどうしてなのか、良く分かりませんでした。
いつか、説教の中で、荒井保は旧制一高に進学したものの、肺結核に掛って中退を余儀なくされ、鬱々とした日々を暮らしていた、と言いましたが、これは、荒井保ではなくて、萱沼実の方でした。萱沼実は病を抱えながらも、どうにか昭和17年まで生きて、法律事務所と書店を東京で経営して暮らしていました。
荒井保の方は、進学はせず、高等小学校を卒業してから、家業に入ることになりました。さらに彼は、日露戦争に兵士として徴集されました。戦争から復員してから、ますます家の仕事をしないようになり、昼間から酒を飲む、という風になりました。
日露戦争は、たくさんの犠牲者を出した消耗戦でしたから、この間のガダラのレギオンの話ではないですが、PTSDだったのかもしれません。一方で、萱沼実は旧制中学、旧制一高に進学しましたが、その後は当然、東大という路線だったでしょう。荒井保にしてみれば、なぜ自分が進学が許されないのか、というところに彼の悩みがあったのかもしれません。この掛け軸を見ても、大変に優秀な人であったのは間違いなく、家は裕福だったのですから、進学は当然の希望です。けれども、地方の旧家では、次男三男は東京に出して教育を受けさせるが、長男は跡取りだから、家に置いて家業をさせると言う考え方もありました。
ですから、理由は分からないのですが、とにかく彼は悩みの中にいて、働きもせず、酒におぼれていたということだと思います。
荒井保が聖書の販売人田名網春蔵さんから聞いて特に関心を持った聖句は、「罪の支払う値は死なり」というローマの信徒への手紙6章23節の言葉だったそうです。旧約聖書の申命記28章が思い起こされます。
「もし、あなたがあなたの神、主のみ声によく聞き従い、今日わたしが命じる戒めをことごとく忠実に守るならば、あなたの神、主は、あなたを地上のあらゆる国民にはるかにまさったものとして下さる。あなたがあなたの神、主のみ声に聞き従うならば、これらの祝福はすべてあなたに臨み、実現するであろう。」という一方、「しかし、もしあなたの神、主のみ声に聞き従わず、今日わたしが命じるすべての戒めと掟を忠実に守らないならば、これらの呪いはことごとくあなたに臨み、実現するであろう。」
つまり、キリストはどこにいるのか、ということになるのですが、彼は中田重治の聖書学院で、笹尾鉄三郎先生のヨハネ福音書の講義で、キリストに出会ったと思われます。先生も生徒も板張りの床に正座して聞く講義の中で、笹尾先生はこう言いました。
「私どもはこの床の平らな木の上に座しただけでも、簡単に苦痛に耐えられなくなるが、主イエスは、両手両足に釘を打たれ、我らごとき者のために6時間も身悶えも出来ずに、一言不平も言わず、忍びたもうた。それが如何に忍び難い苦痛であられしかを知りたい。」
このような講義によって、主イエスの十字架のお苦しみは、我が為である、という霊観が芽生えたということです。
聖書学院の機関誌「炎の舌」に、荒井保の証しがあるとのことで、山地進さんからの抜粋ですが、「感謝に堪えないのは、短気で怒り易く、性急なりし自分の癖も、いつの間にか改まって温和になり、穏やかな状態になり、わたしは何もかも、これ神様によるものとして生活しております。以前は召使の仕事としていたことも、手当たりしだいやって、不思議がられておりますが、家族みんなが喜びに満ち、活気が充満して来ました。」
聖書学院で洗礼を受けて吉田に帰った荒井保は、一切、お酒をやめてしまいました。今の月江寺の駅の周辺は、全国でも有数の数を誇る飲み屋街なのだそうです。当時の飲み屋は、「おやじギャル」などいない昔ですから、男の人たちの社交場であった訳でしょう。地元でも有名な飲兵衛(のんべえ)の若旦那が酒をやめ、キリスト教に入信した。さらに、この富士吉田教会は、その飲み屋街の目と鼻の先に建てられています。これは絶対に、挑戦的なことだと思うのです。社会に対するメッセージを含んでいたことだろうと思うのです。
昨年、ダルクの活動を学ぶ機会がありました。ダルクというのは、ドラッグ・アディクション・リハビリテーション・センターの略です。薬物依存リハビリ・センターということです。しかし、この薬物依存者のためのリハビリテーションというのは、もともと、アルコール依存者のためのリハビリテーション・プログラムから発達したものです。そして、アルコール依存のためのリハビリテーション・プログラムは、メソジスト教会が回心から新生に至る12ステップのプログラムとして作ったものでした。こんなことを考えると、100年前の出来事が、一挙に身近な関心ごととして立ち現れるのです。
荒井保の回心の物語を読みながら、ギリシア教父のアタナシオスが書いた「ロゴスの受肉」を思い出しました。人間は、さまざまな思い煩いから、容易に神から離れてしまいます。神から見れば、死んだも同然です。神から離れた者には、悪魔が容易に近づくことができ、人間を腐敗する者にしてしまいます。腐敗ということが、良く分かりませんでしたが、こうなると人間から神に立ち返ることができなくなってしまいます。キリストが、この人のために、人間となり、この人のために死なない限り、神に立ち返ることはできないのです。
荒井保は、酒におぼれ、周りの家族がどんなに説得しようとしても、聞く耳を持ちませんでした。神から離れ、神の基準を失ってしまうと、自分の状況が見えなくなってしまいます。そのような状況の彼を、キリストはその囚われているところまで降りて行って、救ってくださいました。彼の傍らにキリスト自身が立ち、苦しみの中で執り成しの祈りを続けてくださっている。キリストの十字架が自分のためであると気づいたのは、そういうことです。
中田重治は、荒井保への追悼文で、「保様はキリストの力の大なることを目の当たりにご証明なされたのであります。」と書いています。そして、信者に対しては、「発起人たる保様が死んだから、それでキリスト教が下火になるだろうと悪魔が言いふらしているかもしれません。ここが大事です。キリストご昇天後の弟子たちのごとく、聖霊に満たされなお一層の奮発をもって牧師を助け、ますます活動されんことを希望してやまぬものであります。」と結んでいます。
お祈りします。
2017年の新年を迎えました。兄弟姉妹と共に、元旦礼拝が出来ましたこと、感謝申し上げます。教会の設立に用いてくださった兄弟を通して、わたしたちの信仰もまた、新たにされますように、主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン

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