日本基督教団 富士吉田教会

ようこそいらっしゃいませ。日本基督(キリスト)教団富士吉田教会は、山梨県富士吉田市にあるプロテスタントの教会です。

礼拝説教

説教本文・(時に要約)を掲載しています。音声配信もあります。

2017年5月28日 「わたしの母とは誰か」 今村あづさ伝道師
マタイ12
2017年5月21日 「主はその母を憐れに思い」 今村あづさ伝道師
ルカによる福音書7章11節~17節

一人の人を生き返らせるという奇跡は、その人の母を憐れに思ったイエス様の思いによるものでした。ルカ福音書は、やもめという社会的弱者を、神様が心に掛けてくださる民の代表として、描いています。死人の甦り、つまり死の支配さえ打ち破ることになる神様の業は、小さき者の訴えを聞くお方の思いによって、行われたのでした。神の福音は、ご自分の民を顧みる、このような形で行われるのです。 わたしたちは、この物語を、イエス様が生きていた時代という、今とは隔てのある時代の物語として読んではいけません。また、わたしたちの教会と無関係な昔話として読んでもいけません。この物語は、わたしたちの教会の物語です。わたしたちの教会でかつて生活し、生きた兄弟姉妹の証しの物語なのです。その意味では、わたしたちはこの物語が、今日、今、また教会の中で起こり続けることを当然のこととして考えるのですし、これからもまた、起こり続けることとして、語り続けなければならないのです。 この物語は、ある若者が生き返ったことを通して、わたしたちのイエス様もまた、三日目に甦ったことを思い出させてくれます。死の支配も、この方の前では何の意味もない。わたしたちは、この方に信頼し、わたしたちもまた、永遠の命が約束されていることを、思い起こすのです。 今日の物語を読むにあたって、エリヤとエリシャという二人の大預言者が、子どもを生き返らせた話をしておいた方がいいと思います。ルカのこの箇所は、読者が当然、これらの話を知っているものとして、書いているからです。 エリヤの話は、今月の初めにしたような気がするのですが、それは列王記上の18章の話でした。子どもを生き返らせた話は、その前の17章の後半になります。アハブ王が主なる神に背いたので、干ばつが起こっています。アハブ王に見つかると命が危ないですから、逃げるわけです。シドンのサレプタへ行けと、主なる神様は命じます。そこでやもめに出会います。そして、やもめによって、養われます。ここの次第も、とても面白いのですが、はしょります。自分で読んでみてください。 やもめの息子が病気になり、亡くなってしまいます。エリヤは、神に向かって祈り、子どもの身に三度身を重ね、もう一度祈る。そうすると、「主は、エリヤの声に耳を傾け、その子の命を元にお返しになった。」のです。そして、エリヤは息子を母親に渡した。ここの、「息子を母親に渡した。」と、今日の箇所の15節の後半、「息子をその母親にお返しになった。」とは、ギリシア語の原文で読むと、全く同じなのです。ルカがコピーしたに違いない。当時は、著作権という考え方がありません。和歌の「本歌取り」という技法がありますけれども、そういったことを考えていると思います。元の物語りで込められているものを、新しい物語は前提としているのです。比較しながら読むことを、読者は期待されています。 エリシャが子どもを生き返らせた話は、列王記の下4章18節から37節くらいです。エリシャは、エリヤの弟子で後継者とされた預言者です。でも、なんていうか、エリヤとはキャラが違う。軽め、というのでしょうか。しかし、とにかくエリシャも、エリヤと同様に子どもを生き返らせます。この時エリシャは、エリヤと同じように、神様に祈り、子どもに身を重ねると、生き返ります。 エリシャの生き返らせた子どもの母親はやもめではなく、裕福で教養深く、また敬虔な婦人として描かれています。今日の物語と関係のあるのは、この家族の住んでいたシュネムという場所です。地図で確認すると、今日の物語りの舞台であるナインから4~5キロメートルの距離の所にあります。「あのエリシャが奇跡を行ったシュネムの近くの」ナイン、という訳です。 それでは、物語りを少しずつ、読んで行きましょう。 イエス様、弟子たち、そして群衆も一緒でしたが、ある町の門の近くまでやって来ました。弟子たちの範囲も、12人に限られていなかったようで、数十人のご一行様だったようです。「町の門に近づかれると」と、物語りのナレーションが語っています。町に門があったということは、城壁で囲まれていたということです。町の門の前は広場になっています。そこに人々が集まり、葬儀も行われます。それから、身内の男たちが遺体を担いで、埋葬しに行きます。墓地は、町の外にあります。イエス様が出会ったのは、このような人々でした。 「棺(かん)」と書いてあります。「御棺(おかん)」というと、わたしたちは木で作られた箱を思い浮かべます。木が希少なこの地域では、石の御棺が使われたようです。何年か前に、イエス・キリストのご遺体を入れた御棺ではないかと考えられる御棺が見つかったと、と大騒ぎになったことがありました。では、ここでも石の棺だったのか、と考えたくなりますが、石の棺に入れたのは、同時は富裕層だけだったとのことです。庶民の場合は、遺体をきれいな布で巻き、そのままストレッチャーのようなものに載せて、運んだようです。 亡くなったのは、ある母親の一人息子でした。一人息子と日本語で言えば、娘がいてもおかしくないと考えるところです。ギリシア語の聖書では、「一人っ子の息子」と書いてあります。母親にとって、たった一人の子供だったのです。 さて、今日の日本でも、母子家庭の事情は、とても苦しいものがあります。日本の社会の状況をどうこう言う場ではありませんが、このやもめの家族の置かれている状況も、大変厳しいものだったでしょう。 しかし、息子がいると言うことは、自分の人生に希望があると言うことでもあります。今は、少し(どころか、大変苦しい訳ですが)生活が厳しいかもしれないけれど、いずれ息子が大きくなって、支えてくれるだろう。それは、生活の面だけの問題ではありません。子供が一人立ちして結婚し、子供が生まれることは、この母親にとって普通の世間的な感じ方からすれば、自分の苦労が報われた、生きた甲斐があった、とも言えるものです。 しかし、そのたった一人の息子が死んでしまった。生活は、当然、厳しくなります。それと同時に、彼女には今や、家庭が失われてしまいました。これから生き続けても、さらに子供が望めないとしたら、一体、どこに救いはあるのでしょう。すべて無駄に終わった自分の人生を終わりにして、死を待ち望む。こんな気持ちになってもおかしくありません。 この失意の母親に対して、町の人が大勢、そばに付き添っていたと書いてあるところを読むと、ここは神様のいらっしゃる世界なのだと思います。イスラエルの民に対して恵みをもって律法を与えてくださった神様は、律法の中で繰り返し、やもめや寄留者と言った社会的な弱者を顧みるようにと命じています。神様の世界は、社会的に見れば弱い者であっても、いずれも神に選ばれた民として、育んでくださる世界なのです。 13節。「主」「この母親を見て」、そして「憐れに思い」このいずれもが、とても大事なキーとなる言葉です。ルカ福音書は、ここでイエス様のことを「主」と呼んでいます。ルカは、イエス様のことを、何度も「主」と呼んではいます。けれども、この7章13節は、ルカ福音書で最初に、イエス様を「主」と呼んでいるところなのです。なにが、イエス様を「主」、つまり神様と同じ呼び方で呼ばせることになったのでしょうか。イエス様が、神様と同等の方だと分かったということなのではないでしょうか。すると、それはなぜなのか、ということが、次に疑問として湧いてきます。 次に、「この母を見て」です。イエス様はここで、間違いなく一番、イエス様を待ち望んでいたに違いない人を、選んでくださったのです。その選びは、世間的な意味でのすばらしい人ではありません。イエス様は、自分に見返りが期待できるとか、役に立つとかと言った基準で選んでいるのではありません。悲しみ泣き叫び、もしかしたら神様を恨んでさえいたかもしれない人間を、選んでくださるのです。 最後に、「憐れに思い」です。この言葉は、マタイによる福音書の9章の36節にも出ていて、説明したと思います。今日は、カール・バルトの言葉を引用して、説明しましょう。「これらの人々、この民の苦しみ、罪、見捨てられ脅かされた状態全体が、ただ単にイエスの身に迫って、イエスの心に触れたと言うだけでなく、むしろイエスの心の中に、イエスご自身の中に入って行ったということ、それであるからこの不幸全体は今やまた彼の中で、今や彼ご自身の不幸となり、そのようなものとして彼によって、(彼らによってよりも)遥かに鋭く見られ、はるかに苦痛を持って感じ取られたと言うことである。?σπλαγχν?σθηということは、彼がこの不幸をご自分の身に取り上げられ、それを不幸な人々の身から取り除かれ、それをご自分の事柄、ご自分の不幸としたもうたということを意味している。それであるから確かにこの言葉でもって傍観者の単に受身的な気分とか、ある程度参与している「感情」のことを―――たとえば「同情」という翻訳はここでの事情をそのように受け取らせる危険があるのであるが、とにかくそういう意味の気分とか「感情」のことを―――考えてはならないのである。」いかがでしょう。 イエス様は、やもめの不幸をご自身のものとして、実際の助けをただちに実行に移されます。ご自分がこの事態に介入すると言う決心の言葉が「もう泣かなくてもよい。」です。この言葉は、ご自分が介入すると決心されたから、なのかそれとも、自分の祈りは父なる神によって聞き遂げられるからなのか、既にここで、イエス様の奇跡は、起こることが決まっているのです。そうして、棺に手を触れられました。 先ほど、「棺(かん)」とルビが振ってあるけれど、当時の庶民は御棺に入れるのではなくて、ストレッチャーのようなものに布でくるんだ遺体を乗せただけだっただろうと言う話しをしました。とするならば、イエス様は、若者の遺体に直接手を触れている訳です。エリヤもエリシャも、子どもを生き返らせるときに、その子どもの体に自分の体を重ねて、神様に祈って生き返らせました。ですから、イエス様もその故事にならっていることになります。けれども、死体に触れることは汚れることでした。汚れを自ら進んで、引き受けたことになります。エリヤもエリシャも、そしてイエス様も、力のある大預言者だったから、可能だったと言うことです。 今日の物語で、エリヤやエリシャと異なる所は、イエス様が死んだ若者に向かって声を掛けるところです。そう言えば、マリアとマルタの兄弟ラザロのときも、「タリタ・クム」と言って女の子を生き返らせるときも、イエス様は言葉を掛けていますね。 「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」「起きなさい」とは、眠りから目覚めること起きることと、立ち上がることの両方を意味します。そこから、死者の復活を命令する言葉として使われているのです。エリシャの物語では、従者のゲハジが、死んだ子供が生き返らなかったことを「目を覚ましませんでした。」と表現しています。そして、14節の「起きなさい」という命令に対して、15節では文字通り、体を起こしているのです。 子どもを生き返らせたという奇跡を目の当たりにして、人々は恐れを抱きます。通常では起こるはずのないことが起こったことは、ここに神の力が現れていることを示しているのです。物語りは、エリヤやエリシャの奇跡を思い出させるものでした。大預言者が現れたと考えたことは、当然のことです。 若者を生き返らせた奇跡は、やもめの母の悲しみに神が介入されたと言うだけではありません。「神は、その民を心に掛けてくださった」と人々が言っているように、民全体に対する福音なのです。イエス様がやって来られたことは、神様がご自分の民を顧みてくださりると言うことです。イエス様という神様に等しい方が、この世を訪れてくださったと言うことは、神様ご自身が、この世の民を憐れんでくださり、この世の民を訪れてくださったと言うことです。この世の民を訪れ、そして解放し、この一番弱い者にも、盾となってくださり、共に戦ってくださるのです。 さて、わたしたちは今日、この礼拝を逝去者記念礼拝として守っています。わたしたちの教会も、多くの証し人を持っています。教会の墓地に眠っている人たちは、わたしたちの兄弟姉妹であり、信仰の先達です。かつて、この教会の椅子に座り、御言葉を糧として聞き、心からの賛美をしたことでしょう。富士吉田教会のはじまりは、火のような信仰をもって、路傍伝道をしたとも聞いています。必死に伝道をしたことは、この教会の伝統になっています。 教会は、孤立しているものではありません。異なる場所にたくさんの教会が建っていても、実は同じキリストを頭(かしら)にいただく教会として、姉妹どうしなのです。今日のナインのやもめの息子が生き返った話も、「わたしたちの」教会の証しです。主イエスは、一人息子を失ったやもめの悲しみを、ご自分の悲しみとして、引き受けてくださった。社会の中で、どんなに小さな存在であっても、主の前ではそんなことは何でもないのです。ご自分のように、憐れんで下さる。神様は、ご自分に等しい方を、私たちのもとに送ってくださり、わたしたちを心に掛けてくださる。そのことこそが、わたしたちの福音です。わたしたちの姉妹に起こった、わたしたち全体にとっての福音です。その福音は、死をも打ち破ってくださる。イエス・キリストの十字架と復活の出来事の中で、わたしたちもまた、永遠の命に生きる希望を確かなものとしていただいているのです。 お祈りいたします。 天にいらっしゃるイエス・キリストの父なる神様、あなたがイエス様をお送りくださり、わたしたちを顧みてくださってありがとうございます。どうか、わたしたちがこの恵みに信頼し、恵みの中に豊かに生かされていきますように、主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン

2017年5月14日 「休ませてあげよう」 今村あづさ伝道師
マタイによる福音書11章25節~30節

「疲れた者、重荷を負う者は、誰でもわたしのもとに来なさい。あなた方を休ませてあげよう。」28節のみ言葉は、聖餐式の招きの御言葉として引用されます。皆さんは、この言葉をどのように聞いているでしょうか。
毎月の聖餐式で、この言葉を牧師の先生が語ってくださる時、自分自身の日々の労苦や苦しみを、イエス様はご存知でいてくださっているのだ。さまざまな人には言えない労苦も、あの方は知ってくださっていて、神様の平安に招いていてくださっている。この世で心身ともに擦り減ってしまったわたしを、神様の命で生き返らせてくださる。そんなふうに、わたしはこの言葉を受け取っていました。「ふさわしくないままでパンを食し主の杯を飲む者は、主のからだと血とを犯すのである」という言葉に身を縮める思いをしながら、「誰でもわたしのもとに来なさい。」という言葉に信頼していたという気がします。
神学校へ行っている間、夏休みのうち2回は、夏期伝道実習というのに出掛けます。それで私は、一度目は沼津教会へ出かけ、二度目は茅ケ崎南湖教会のお世話になりました。一昨年の秋に、この富士吉田教会に沼津教会の宮本先生が特別伝道集会に来てくださり、このこともお話しなさったと思います。
神学校では、夏期伝道実習の前に、様々なアドバイスをします。また、神学校の礼拝説教は、大学院の神学生も説教をすることになっているのですが、夏期伝道実習のための礼拝は、必ず神学校の先生方が説教をすることになっています。その内容と言うと、「砕け散って来い!骨は拾ってやる!!」的なありがたくない説教ではあるのですが。
沼津教会へ夏期伝道実習へ行く年のアドバイスの中に、説教箇所は有名な聖句から選べ、というのがありました。察するに、そういう聖書箇所は、聖書箇所自体がメッセージ性をもっているので、語る言葉が見つかるだろうと言うことなのでしょう。こう言う時は、「御言葉が備えられる。」と、普通は言いますけれど。そこで、わたしが選んだ聖書箇所が、今日の11章28節~30節でした。
はっきり言わせてもらうと、とても苦労しました。がっかりしました。聖餐式で感じていたような解釈は、とてもできなくなりました。宮本先生に相談しました。先生曰く、「ま、マタイだからな。」わたしも、「マタイですからね。」と言いました。その時に躓いたのが、29節と30節の「わたしの軛」です。
疲れてもう、これ以上生きられない。重荷を負って日々過ごしていて、これ以上は負いきれない。そう思っている憐れなわたしたちに対して、イエス様は「その重荷をここに降ろしていいよ、ここで休みなさい。」そう言ってくださっているのではないでしょうか?そう言ってくださっているのだと、28節だけを聞いていたわたしは勝手に理解したつもりだったのです。
ところが、どうでしょう。今までの荷物の代わりに「わたしの軛を負え」とイエス様は仰る。何だ、また別の荷物を持って行くのか。荷が軽いと言っても、結局はまた、荷物を背負わなければいけないのか、という訳です。
そこで、「軛」というのが、どんなものなのか、「コンコルダンス」というものがありまして、それで調べました。「コンコルダンス」というのは、聖書の言葉に対して、その言葉が聖書のどこに載っているかが書いてある書物のことです。今は、これを、BibleWorksという名前のコンピューター・ソフトでやっていますが、当時は新共同訳の聖書の語句による小さな本を遣っていました。大きくなるほど、たくさん聖書箇所を参照してくれるのですが。
「軛」という言葉は、創世記27章40節、列王記上12:4などにもあるのですが、当時見つけたのは、エレミヤ書でした。エレミヤ書の27章11節には、「バビロンの軛」という言葉があります。南王国ユダは、新バビロニヤによって軍事的に圧迫を受けていました。エレミヤは、ユダの王ゼデキヤに、バビロンの王の軛を負い、彼とその民に仕えよと語ります。そうすれば、命を保つことができると言うのです。大国に膝を屈し、貢物を出し、あるいは軍事的な要請を受けた時にはバビロニアのために軍隊を出す。それは屈辱ですが、それによってユダ王国は生きながらえることができるであろう、というのです。このように、軛という言葉は、軍事的な圧力、他国の支配を示す言葉として使われています。28章13節では、木の軛、鉄の軛という言葉があります。実際に、家畜に鉄の軛を負わせることはないということですが、木の軛よりも鉄の軛の方が、より一層、厳しい圧迫だと言うことはわかるでしょう。実際のところ、エレミヤは、鉄の軛という言葉で、その国の奴隷になることを意味していたのでした。
列王記上12章4節でも、軛という言葉は、ソロモン王がイスラエルの民に課した重い税金のことを意味していました。ここでも軛と言えば、政治的な圧政のことを意味しています。
イエス様の軛は、政治的なものなのでしょうか。十字架を通して、わたしたちに神の国への道を開いてくださったイエス様と政治とは、関連が見つからないように思います。けれども、マタイによる福音書は、イエス様を旧約の完成者として描いていると言われます。旧約聖書を完結させ、全く新しいことを始められたメシア。前回の聖書箇所の11章の13節でも、イエス様は旧約聖書で預言されていない新しいことを始めるのだとおっしゃっていました。とは言え、マタイはあくまでもユダヤ人として、聖書の伝統の中でイエス様を語っています。全く新しいことを始められるのだけれども、それは旧約聖書の伝統を踏まえてのことです。
わたしたちが普通、手にしている聖書には、入っていないのですが、カトリック・ローマ教会の使っている新共同訳聖書には、旧約聖書と新約聖書の間に、「旧約聖書 続編」という部分が含まれています。この部分は、聖書箇所として説教することはないのですが、参照してもいいことになっています。
「旧約聖書 続編」の中に、シラ書というのがあります。全部で51章あるものです。書かれたのは、紀元前2世紀だと考えられています。旧約聖書の中に、続編が含まれていない一つの理由は、書かれた年代が紀元前3世紀よりも後であることがあります。この話は、いつかまた、いたしましょう。
シラ書は、イエス様の時代から遡ること200年以内の時代に書かれたものです。そして、その考え方を修正する形で、マタイは新しい考え方をわたしたちに示しています。
シラ書は、知恵について、書かれています。「知恵はすべて主から来る。主と共に永遠の存在する。」とシラ書は1章の最初に述べています。「知恵は、他のすべてのものに先立って造られ、その悟る力も、永遠の昔から存在している」と語ります。ヨハネによる福音書の冒頭を思い出してください。この知恵とは、イエス様のことであると、マタイも考える訳です。
シラ書は、この知恵に近付け、と勧めています。「子よ、若い時から教訓を受け入れよ、白髪になるまでに、知恵を見出すように。」と言います。そして、「足に知恵の足枷を掛け、首に知恵の首輪をはめよ、肩を低くし、知恵を担え。」「軛の下にお前の首を置き、魂に教訓を教え込め。」と勧めるのです。ここで、軛とは、知恵を身につけるための努力、訓練のことのようです。
そして、こうも言っています。「軛の下にお前の首を置き、魂に教訓を教え込め。」の後、「知恵は直ぐ身近にある。目を開いて見よ。わずかな努力でわたしが多くの安らぎを見出したことを」あるいは、「心を尽くして知恵に近づき、力を尽くして知恵の道を歩み続けよ。そうすれば、知恵が見つかるだろう。しっかりつかんだら、それを手放すな。遂には知恵に憩いを見出し、知恵はお前にとって、喜びに変わるだろう。」と言った言葉が語られています。
しかしながら、この知恵を得る者は、どんな人たちでしょうか。旧約聖書のダニエル書の2章21節には、知恵を得るのは知者か識者だと、ダニエルは祈っています。旧約聖書の伝統の中では、知恵に達することのできるのは、知恵ある者か賢い者に限られると考えられていたのです。
そこで、今日の25節では、どう書いてあるでしょうか。イエス様は、父なる神様を賛美しています。旧約聖書では知恵に達すると言われている知恵あるものと賢い者に隠されていることが、幼子のような者に示されたからです。ここでは、旧約聖書では排除されていた幼子のような者が、主なる神と共に永遠に存在する知恵を見出すことができるのです。
25節よりも前の聖書箇所では、イエス様は、さまざまなガリラヤの町々が悔い改めなかったと、叱り続けました。しかし、25節では幼子のような者が示されたとおっしゃっています。つまり、知恵ある者や賢い者ではなく、幼子のような人々が、イエス様の御言葉を聞き、受け入れたと言うことではないでしょうか。
27節では、すべてのことは、父から私にまかされています。とイエス様が語ります。マタイによる福音書ではなく、ヨハネによる福音書を思い出させるような言葉です。イエス様は神様と同質である。イエス様に信頼し、従っていくことで、必ず神様に出会うことができる。イエス様がこの人には神様を示そうとすれば、その人は神様に出会うことができると言うのです。イエス様に信頼しなさい。イエス様は、神様に至る真の道なのだ。幼子のように、何も知らない、愚か者だと指を指されるような者でも、イエス様に信頼しなさい。必ず、神様の所に連れて行ってもらえる。
しかしながら、そのためには、イエス様の軛を負い、イエス様に学びなさい。つまり、イエス様の生き方を実際に模範として歩んで行く。そのような方法で、神様へ至る道を進むことになると言う訳でしょう。
30節に「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い」という言葉があります。これは、ファリサイ派の軛、律法学者が肩に背負わせる荷に比べて、ということだと理解されています。23章3節、4節に、イエス様がファリサイ派や律法学者をどのように見ていたのか、言葉があります。重荷を人の肩に載せながら、自分では何もやってくれない。そんなふうに、イエス様は律法学者を見ていました。
30節は、12章に繋がっています。安息日の律法を、イエス様は「背負いきれないほどの重荷」と考えていたようです。実際、ユダヤ人の普通の人々や、特にユダヤ人以外の人々と仕事を一緒にしていた人々などにとって、安息日の律法は、生活に支障をきたすほど、重荷となっていたのでしょう。ファリサイ派や律法学者の人々は、生活にそぐわなくなってきていた律法の細かい規定を、見直すことを拒否し、律法の規定に従えない人々を、罪人として、神様によって赦されない人々だと断罪していたのです。
一方で、イエス様は、どんな方なのかと言うと、政治的な圧政者の筈はないと先ほど、言いました。実際、マタイによる福音書の21章5節では、「柔和な方で、ろばに乗り、荷を追うろばの子、子ろばに乗って」と旧約聖書を引用しています。柔和な方で、戦車にも馬にも乗らず、ろばの背に乗ってとことことやって来る王様。ご自分を十字架に掛けてまで、人々の罪の身代わりになってくださった方です。その方が幼子を神の国に連れて行こうとしてくださっているのです。ご自分を犠牲にしても、どんなに心貧しい人にも、神の国が開かれるでしょう。イエス様が手を引いて連れて行ってくださるでしょう。
わたしたちがどんなに罪深くても、神様は赦し、わたしたちを神の子としてくださいました。洗礼を受けることを得させてくださいました。それは、ご自分の身許に置き、いとおしむためです。わたしたちは、喜んで、もっと御許に近づきたいと思うのではないでしょうか。ふさわしくない者が、御許に集められた光栄に、喜びに満ちつつ、感謝をもって、より近くに、少しでも近づけるようにと、心から願うのではないでしょうか。そのわたしたちを導いてくださる方が必要です。その方がいらっしゃらなくては、わたしたちは直ぐに間違った方向へと行ってしまいます。その手を、離れたが最後、わたしたちはたやすく、道を外れてしまうのです。
神様と共に生きていくとは、そうではない生き方を退けていく生き方です。わたしたちは、神様が、わたしたちを命へと導いてくださっていることを信じて、毅然と選び続けなければならないのです。
28節が聖餐式の時に読まれるようになったのは、ルターの解釈が元になっているのだそうです。ルターは、この「重荷」をあらゆる試練と考えました。それは、ファリサイ派の厳しすぎる律法に限定されず、空腹、貧困、さまざまな辛苦、つまり辛い苦しみをも含まれると理解されました。イエス・キリストの、「わたしのもとに来なさい」という呼び掛けには、例外がない。なぜなら、イエス様は神に等しい方であり、父なる神から、天と地のすべての権能を預かっている方なのですから。イエス様の大きく豊かな憐れみを、ルターは賛美しています。
このルターの解釈が元になって、改革教会も聖公会も、聖餐式で読むようになりました。幼子のような者、つまりイエス様なくしては、罪人でしかなく、神様の前にはとても立てないわたしたちに、イエス様は「わたしのところに来なさい」とおっしゃってくださっています。心からの喜びと感謝をもって、御前に進み出ましょう。
お祈りいたします。
在天のイエス・キリストの父なる神様。イエス様によって成し遂げられた、あなたの素晴らしい御業を感謝いたします。いと小さき者であるわたしたちが、御国の世継ぎとしての約束をいただきました。どうか、わたしたちが、その光栄を感謝し、ますますふさわしいものとなるよう、励むことができますように。イエス様のお名前でお祈りします。アーメン

2017年5月7日 「彼はエリヤ」 今村あづさ伝道師
マタイによる福音書11章7節~15節

「あなたはどなたですか?」と聞いてきたヨハネの弟子たちが帰って行くと、イエス様は洗礼者ヨハネについて、話し始めます。「あなた方は、何を見に行ったのか。」この言葉が、三回繰り返されます。「風にそよぐ葦か?」「いいや違う、人間だ。」「それなら、同じ人間でもしなやかな服を着た人か。」しなやかな服は、ぜいたく品で、高貴な人のみが着ることができる物でした。洗礼者ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締めるという格好でした。この洗礼者ヨハネが、預言者である。それも、大預言者である。イエス様は、同じ「あなた方は、何を見に行ったのか。」と言う質問を繰り返し続けることによって、洗礼者ヨハネが大預言者であることを強調しています。
らくだの毛衣を着て、腰に革の帯を締めているという洗礼者ヨハネの格好は、かなり奇抜でした。創世記には、知恵の木の実を食べてしまったアダムとエバが、エデンの園から追い出される時に、神様は皮の衣を作って着せてくださった、と書いてあります。けれども、この時代の人々の衣服は、麻か羊毛です。
洗礼者ヨハネの格好について、3章で書かれていますが、ここで旧約聖書をよく読んでいるユダヤ人たちは、「あの」預言者を思い浮かべたはずです。「あの」というのは、列王記に登場するエリヤと言う預言者です。列王記上の17章に登場し、列王記下の2章まで続きます。
預言者エリヤの物語は、教会学校だったら、何回かのシリーズで学ぶところなんですが、残念ながら、今日は洗礼者ヨハネの説明として、お話しするので、簡単にしか触れることができません。
イスラエル王国に、アハブと言う王様がいました。この王様は、主なる神様を重んじず、バアルと言う別の神様を重んじました。外国人の王妃を迎え、彼女の信仰する神様のために、神殿を建て、祭壇を築いたのです。
主なる神様は怒り、イスラエル王国に干ばつをもたらします。このことを預言したのが、エリヤです。干ばつになって三年が過ぎました。国は、大飢饉になっていました。エリヤはこの間、隠れていたのですが、出て来て、アハブ王の抱える450人の異教の神様の預言者たちと、たった一人で対決をするのです。
薪の上に、それぞれ供え物の牛肉を用意します。本来ならば、ここで薪に火を付け、供え物を神様に奉納するところですが、「火をもって答える神こそ、神であるはずだ。」として、火を点けずに置くのです。バアルの預言者たちは、半日、大騒ぎをしますが、火は点かない。エリヤは、薪に瓶(かめ)の水を注がせる。「もう一度」「三度目を」と、三回注がせる。溝にまで水があふれます。そうしておいてから、「主よ、わたしに答えてください。そうすればこの民は、主よ、あなたが神であり、彼らの心を元に返したのは、あなたであることを知るでしょう。」というと、天から神の火が降って来て、焼き尽くす献げ物と薪、石、塵を焼き、溝にあった水をもなめ尽くした。これを見たすべての民はひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です。」と言った。…
このエリヤの風体が、列王記下の1章8節にあります。「毛衣を着て、腰には革帯を締めていました。」部下の報告に対して、アハズヤ王は「それはティシュベ人エリヤだ」と言います。毛衣に革帯というのが、エリヤのいつものスタイルだったのでしょう。
ユダヤ人の教会で、教会学校があるのかどうかは良く知りませんが、家庭では子供たちに神様の言葉を教え、それこそ、「家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、語り聞かせなさい。」と律法に命じられていますから、エリヤの物語は良く知られていたのでしょう。ですから、洗礼者ヨハネが登場してきたとき、らくだの毛衣を着て、革の帯を締めていた、と読むだけで、エリヤと同じ格好だな、とユダヤ人たちは気づいたはずです。
イエス様は、洗礼者ヨハネは、預言者以上の預言者なのだ、と言っています。10節で「『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう。』と書いてあるのは、この人のことだ。」とおっしゃる訳ですが、ここの二重かっこは、旧約聖書からの引用であることを示しています。ところが、この引用は、列王記からではありません。聖書の巻末に「新約聖書における旧約聖書からの引用箇所一覧表」と言うページがある人は、この箇所は「マラ 3:1」と書いてあるのが分かるでしょう。「マラ」というのは、「マラキ書」の略です。そして、マラキ書と言うのは、旧約聖書の最後に置かれている預言書です。ほとんどの人の聖書では、「新約聖書」と題名の書いてあるページの右側は、マラキ書の最後のページです。3:1は1499ページですが、「見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。」と書いてあります。マタイによる福音書と言葉が少し違いますが、これは翻訳の違いによるものです。
イエス様は、このマラキ書を参照した後の14節で「実は、彼は現れるはずのエリヤである。」と言っています。マラキ書の3:1の文言からは、どこがエリヤなの?と思う訳ですけれど、エリヤは、マラキ書3章の終りの方、23節に出てきます。「見よ、わたしは 大いなる恐るべき主の日が来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす。」イエス様の旧約聖書の引用は、やっぱりエリヤのことなのです。
エリヤが再臨する、もう一度、現れると人々が考えるようになったのはどうしてなのか、と言いますと、列王記でエリヤは死んだと書いていないからなのではないか、と思います。モーセは亡くなったけれど、エリヤは、そうは書かれていないのです。列王記下2章では、エリヤはエリシャが見ている前で、天に上げられるのです。
マラキ書は、主なる神様に立ち返れ、と呼び掛けている預言書です。もともと書かれた時代は、イエス様の時代よりも450年くらいも前のことだと言われています。もっとも、預言者エリヤの時代は、これよりもさらに400年も前のことです。エリヤの時代にはイスラエルには南のユダ王国と北のイスラエル王国、二つの王国がありました。けれども、いずれの王国も、大きな帝国によって相次いで滅ぼされてしまいます。その後、ペルシア帝国の時代に、帝国の中の民族は、それぞれ自分たちの宗教の神様を信仰してもよいことになりました。そこで、廃墟となって何十年も経っていたエルサレム神殿も、この時に再建されたのです。神殿を再建した人々は、神殿さえ再建すれば、もう一度主なる神様を信仰することができて、自分たちは救われると信じていました。
ところが、神殿が再建されてしまうと、神殿の再建を熱狂的に望んでいた人々の信仰は何と言うか、熱が冷めてしまいます。信仰よりも金儲け、という人々が出てきました。神様を信仰しない人々が、悪事を行っても、神様の罰を免れている。神様に仕えても、空しいのではないだろうか、そんなふうに考える人々が出てきました。神殿を捧げたけれども、期待した神様の救いはやって来ない。神様が約束してくださったわたしたちの幸せの約束は、どこに行ってしまったのか。何世代もの人々が、約束を受けることなく死んでいき、多くの人々が信仰を失っていく、ということが起こっていました。マラキ書は、このような状況の中で、神様に立ち返れ、あなた方の疑問自体が神様にとってはとんでもないことだ、と叱咤激励するのです。
3章1節では、神様によって使者が送られてくることが預言されます。マタイ福音書の参照している聖書の箇所の先を読んでみると、「あなた方が待望している主は突如、その聖所に来られる。」と続きます。使者の次に、主がやってくるのです。しかし、2節3節を読むと、「待望している主」とは、裁き、正義を行う主であることが分かります。
このことは、マラキ書3章23節でも、「預言者エリヤは大いなる恐るべき主の日が来る前に来る」と書かれていることで、同じことを言っているのだと言うことが分かります。つまり、先ず神様のメッセージを携えている使者が来る。それから、本当の裁きを行う主がやって来ると言うことです。
「使者」や預言者エリヤとは、洗礼者ヨハネのことである、というのであれば、この使者の次にやってくる主とはどなたでしょうか。…イエス様だ、ということになりますね。つまり、イエス様は、世界を裁く方として、やってくるのだよ、ということです。
先週、洗礼者ヨハネは、イエス様のことをマタイ福音書3章12節で終わりの日の裁き主としてのメシアだと信じていた。それなのに、牢屋に入れられて、死が近いこの時期に、自分が信じていたはずのことをもう一度、イエス様に聞いて来た。一体、どう考えたらよいのでしょうか。という話しをしました。今日の箇所では、洗礼者ヨハネの預言の通り、イエス様は世界の終りに再臨して、世界を裁く方であることを認めています。
今日の箇所の戻って、13節に、「すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。」というイエス様の言葉があります。「すべての預言者と律法」というのは、旧約聖書のモーセ五書と呼ばれる最初の5つの書と、歴史を扱っているところと、預言の部分です。これ以外に聖書には諸書と言って、詩編や物語などの文学の部分があります。でも、イエス様の時代には、このような言い方で、聖書全体(旧約聖書ですが)のことを意味していました。つまり、どういうことを言っているのでしょう。イエス様の時代には、聖書には書かれていない、全く新しいことが始まるんだよ、と言っている訳です。新約聖書では、旧約聖書の枠を越えて、全く新しいことが、全く新しい神様の人間との関わり合い方が、始まっているのです。
マラキ書は、わたしたちの持っている旧約聖書の最後に置かれている書です。旧約聖書の律法と預言者の書は、マラキ書で完結します。そのメッセージは、神様に立ち返らないのであれば、突如、主がやって来て、人々を裁くのだと言うことでした。そして、洗礼者ヨハネが、裁き主としてのメシアの前にやって来る使者であるということならば、人々は滅びるほかないのでしょうか。その通りだ、と思ったからこそ、洗礼者ヨハネは「悔い改めよ」と勧めていたのでした。なんだか、救いはどこにあるのだろうか、と思いませんか。
マラキ書は、けれども、神様のお名前を畏れ敬う人には義の太陽が昇る。その翼には癒す力がある。あなたたちは、わたしにとって宝となる。人が自分により頼む子を憐れむように、わたしはあなたを憐れむ、とも預言しています。神様に立ち返る人に、神は応えてくださる、それも大きな慈しみをもって応えてくださるのです。
マラキ書の1章2節で、神は「あなたたちを愛してきた」とおっしゃいます。「しかし、あなたたちは言う。どのように愛を示してくださったのか、と。」主なる神は、出エジプトというとんでもない恵みをもって、すでにイスラエルの人々への愛を示してくださっていました。ダビデやソロモンという王様のもとで、人々は安寧に暮らす日々がありました。世界帝国によって国は滅び、神殿も破壊されましたが、今は、神殿も再建され、礼拝が出来るようになっています。神の恵みは、変わらずにあり続けているのです。けれども、この人々には、その神様の恵みが見えていません。
そして神は、遂に、ご自分の愛する御子であるイエス・キリストを十字架につけて、わたしたちの罪をそれによって赦すと言う、すさまじい神の愛を、わたしたちの前にはっきりと見せてくだることになったのです。「どのように愛を示してくださったのか。」というマラキ書の疑問は、ここで吹っ飛んでしまいます。それは、旧約聖書の世界では解決できなかったことでしたが、イエス様によって、神様は答えてくださったのです。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」わたしたちは、「どのように愛を示してくださったのか。」と、神様に問う必要はないのです。そのようにわたしたちは愛されているのですから。
お祈りいたします。
神様、愚かなわたしたちを赦して下さい。あなたの愛は、わたしたちの前にこんなにも明らかに置かれています。わたしたちが、その愛に立ち戻り、その愛により頼んで歩ませていただける幸いを感謝します。イエス様のお名前でお祈りします。アーメン

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