日本基督教団 富士吉田教会

ようこそいらっしゃいませ。日本基督(キリスト)教団富士吉田教会は、山梨県富士吉田市にあるプロテスタントの教会です。

礼拝説教

説教本文・(時に要約)を掲載しています。音声配信もあります。

2017年2月26日 「十二人の派遣」 今村あづさ伝道師
マタイによる福音書10:1~15

これまで主イエスは故郷のガリラヤで宣教活動をして来ました。教えて癒して、寝る暇もないほど働かれました。それによって、弟子になった人々ももちろんたくさんいたのです。しかし、それでも、イエス様の前に見える人々は、羊飼いのいない羊の群れのようでした。弱り果て、打ちひしがれている人々が、まだまだたくさんいたと言うことです。と言うよりも、ガリラヤ伝道をしていくと、ガリラヤ以外にも、ガリラヤ同様に、福音を待つ人々がいたと言うことでしょう。
そこでもっともっと、たくさんの人々に福音を伝えるために、イエス様は弟子たちを十二人選び、伝道のために派遣されました。一人が十二人になります。少なくとも、口は一つから十二に増える。だから、場所はこれまでのガリラヤから、イスラエル全体へ拡がるのです。ガリラヤは4章でゼブルンとナフタリの地、と書いてあって、イスラエルの内、二つの部族の領土だったということになっていますが、実際のところ、これら二部族の領土は比較的狭いですし、聖書の巻末の地図を見ると、ゼブルンとナフタリの領土がそのままガリラヤ地方になるわけでもない。しかし、イスラエルは十二部族ですから、十二人と言う訳でしょう。
5節では、異邦人のところへ行くな、サマリア人のところへ行くな、とあります。まずは、イスラエル人のところ限定と言う訳です。十二人ですから、限界があります。神様の選びはまずユダヤ人であった、と言うパウロなどの主張も、感じられます。
サマリア人というのは、もとの北王国、イスラエル王国に住み、旧約聖書の最初の5つの書物、モーセ五書のみを自分たちの正典として、主なる神を信仰していた人々でした。南のユダ王国の人々は、彼らは異端で自分たちは正当だと考えていました。そこで、伝道先から外されているのです。
けれども、イエス様がサマリア人をそのような差別の目で見てはいなかったことを、わたしたちは「よきサマリア人のたとえ」で知っています。また、今年度の聖句はヨハネによる福音書4章14節から取られていますが、この箇所は、イエス様がサマリアへ行って伝道をする話でした。
マタイによる福音書のここだけ読むと、イエス様は異邦人伝道に対して反対しているのではないか、と考えてしまいます。とすると、ほかの福音書とは違うではないか、と主張する人もいます。けれども、この箇所は伝道の第二段階であって、最後は全人類に伝道しなさいと言う、28章19節になります。マタイによる福音書では、ガリラヤ、イスラエル、そして全世界へと、伝道の働きは拡がっていくのです。
『天の国は近づいた』という、主イエスの福音の言葉は、イスラエル全体へ拡がっていきます。けれども、闇もまた、それを止めようとするかのように、拡がっていきます。イエス様が福音伝道を始められたのは、洗礼者ヨハネが捕らえられたことがきっかけでした。ここで、伝道の地はガリラヤからイスラエル全土に拡がっていきますが、洗礼者ヨハネは14章で殺されてしまいます。そして、主イエスが十字架で殺されて復活して初めて、福音は全世界へ拡がることとなるのです。神様のご計画が拡がっていくことに、闇の勢力は必死で抵抗しているようにも読むことができるでしょう。けれども、既に勝負はついており、闇はそれを阻むことはできません。
さて、ここで弟子たちは、「汚れた霊に対する権能を授け」られて、派遣されました。イエスという師匠の持つ力を与えられたのです。そこで、イエス様が弟子に権能をお与えになったということは、弟子が自由にその権能を使うことができると言うことです。それでは、弟子が勝手に自分の思うようにふるまってよいということかと言うと、もちろん違います。1ページめくってもらって18ページの上の段最後の段落では、「弟子は師のようになれば、それで十分である。」と、イエス様は言っています。
7節にあるように、イエス様は、弟子たちに、「行って、『天の国は近づいた』と述べ伝えなさい。病人を癒し、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。」と命じています。これらは、イエス様が言っていたこと、やってきたことと、変わりません。4章17章で、イエス様は宣教の初めに、「悔い改めよ、減の国は近づいた。」とおっしゃり、23節でガリラヤ中を回って教え、宣べ伝え、癒されたのです。弟子たちも、イエス様と同じことをやるのです。
「弟子は師に勝るものではない」と書いてあります。弟子が力を持ったからと言って、師匠以上に出来るものではないのです。中世のある神学者は、キリストに似た者となることを、弟子たちの究極的な目標としました。近代の敬虔主義の人たちもまた、新生、新しく生まれること、それも完全に生まれることを強調します。
こう言った方向性は、たとえばもう、自分は師匠に追いついたから、教会に来る必要はなくなった、といった極端に走る可能性もあるので、注意しなければなりません。教会に通っていても、牧師を品定めするような人もあります。こう言う人は、自分もまた、イエス様の弟子であることを忘れていないでしょうか。逆に、教会の牧師を、イエス様と同一視してしまう人もいます。牧師も弟子として、イエス様に勝るものではなく、イエス様に命じられたことを行う者なのです。お互いが、イエス様の弟子として、呼びかけられていることを考えつつ、読んで行きたいのです。
さて、弟子たちは、汚れた霊に対する権能を授けられ、病気を癒すように命じられています。この時代の人々にとって、奇跡を起こすことは、神の力の働いていることを証しするものでした。つまり、人々を癒すことは、イエス様の働きが神様によるものであることを証明するものだったのです。
このような考え方は、古代の神学者でも反対する人がいました。奇跡など、インチキだ、奇跡についての話があるだけで信じられない、と言う訳です。この神学者は、奇跡物語の価値を認めず、イエス様の教えの方にこそ、価値があるのだと考えました。
現代でも、この古代のギリシアの神学者と同じように考える人は多いと思います。イエス様が、奇跡を行ったかどうかはともかく、前回の聖書の箇所で読んだ、人々に対するはらわたの引きちぎられるような憐れみの思いというのは、まぎれもなく主イエスのものです。造り主なる神様と同じ思いです。人々の苦しみに対して、さまざまな病や弱さに対して、健やかであるように、というのは、神様ご自身から来ているものです。
ここで主イエスは、弟子たちに人々の癒しを命じています。キリスト教の、医療や介護と言った行為は、イエス様の命令です。ここで命令されているから、最初から行われていました。そして、それは、人間の弱さに対して、健やかであるように、との神様の思いから発していると言えましょう。
9節~11節を読むと、厳しい言葉が並んでいます。貧しく着替えもない、不自由な生活で伝道活動をするように、と言っているようです。けれども、10節の最後は「働く者が食べ物を受け取るのは当然である。」とありますし、11節では伝道する時は、誰からの家に滞在をして、そこで伝道活動をしなさいと言う意味のことが書いてあります。
伝道活動は、何かお金を持って、伝道する地に自力で教会を建てなさい、と言うことではなくて、受け入れる側が、住む所、着る物、食べる物を用意しなさいと言う意味でしょうか。
この箇所を読んで、山梨県に伝道したイビー宣教師のことを思い出しました。皆さんの中にはご存じの人もいると思いますが、今日は、イビー宣教師の山梨県へのキリスト教伝道が、どのように行われたかを見ていきたいと思います。
日本キリスト教団に属する教会というと、山梨県には16教会1伝道所があります。このうち、韮崎、甲府、市川、巨摩、峡南、日下部、勝沼、谷村の各教会は、メソジストの伝統を持つ教会です。これらは、たった一人の宣教師、イビーの宣教活動をもとにして、設立されました。
カナダ・メソジストのイビー宣教師は、明治十年1877年に、山梨県に入って宣教活動を始めました。甲府に居を構え、甲府盆地中を馬に乗って宣教して回ったそうです。静岡にキリスト教の宣教師が入ったのが1871年です。県境を越えるのに6年かかったことになります。
イビーが最初に入った土地は、南部町、今の峡南教会です。今は、森容子牧師が赴任しておられます。ここに地元の人がやっている学習塾がありました。学習塾と言っても、西欧の政治学の講義をしていたというのですから、大人向けです。ここに私塾を開いた人は、西洋医学を学んだ医師を招いて、医院も開いたそうです。
イビー先生は、1877年の夏に、この地で英語の講師を勤めました。これは、学習塾側が、キリスト教に関する英語の先生に来てほしいと考え、静岡教会の信徒から紹介されたのです。南部町で講義を受け持ち、午後には伝道、そして日曜日には説教をしたのでした。
このことがきっかけで、イビーは翌年、甲府を訪ねました。翌々年から甲府の英語塾の教師として恒久的に雇われ、家族で住むようになります。甲府教会の始まりです。当時は政府によって、外国人が、土地や家を所有することは許されませんでした。イビー宣教師を招いた人々が、招くにあたって居住する家と、講義所、つまり教会を準備しました。
11節を読むと、イビーの行ったことは、全く聖書の通りだったと思います。イビーを招いたのは、山梨県の地主たちでした。大地主にはネットワークがあり、それぞれの地域の地主は、イビーを招いて講義を依頼します。イビーは馬に乗って、甲府盆地のあちこちを巡回しました。これによって、それぞれの地域に教会ができていきました。この方法はまた、メソジストの伝道方法にも、則ったやり方でした。
イビーによるカナダ・メソジストの伝道は、何かとても、山梨県の人々に、好意的に受け止められた気がします。不思議な気もしますが、理由の一つは、江戸時代に甲斐の国が幕府の直轄地であったことがあると思います。明治時代になってから、江戸幕府の人々は、静岡に戻って来ました。そして、旧幕臣からたくさんのクリスチャンになる人たちが出ました。それは、江戸時代の朱子学に代わって、キリスト教を自分たちのこれからの精神的な支柱にしたいと考えたからでした。政治や経済は、薩長政府が握っていましたので、これから自分たちは文化、教育、宗教の分野で日本を引っ張っていきたいと言うことでした。隣の静岡県のこのような動きが、山梨県でもキリスト教の受け入れられる理由の一つにあったと思います。
けれども、やはり、それだけではない。御言葉には、力があると言うことです。聖霊が、御言葉を通じて、働いてくださると言うことです。

ところで、富士吉田周辺は、多少、状況が異なります。カナダ・メソジストの働きは、確かに谷村まではやって来ました。勝沼教会を軸として、大月、上野原、と言った地域も伝道が進められました。けれども、なかなか南都留郡、つまりわたしたちが居住している地域での伝道は、うまくいかなかったのです。
そういった面では、元旦に荒井保の話をしましたが、イビーからすると二世代も後の時代のホーリネス教会の働きも、大変なものだったと思わざるを得ません。ホーリネスの系統の教会は、富士吉田のほかに、大月新生、石和、山梨八代、愛宕町があります。これらの最初が、富士吉田教会だったのです。会議室に河口湖の近くだと思いますが、伝道集会での群衆の写真がありますが、これがどんなものだったのか、いつかまた、お話ができたらと思っています。
最後に、今回の聖書箇所の通りのことをやって開拓伝道をしました、と言う話しは日本では当たり前のようにたくさんあります。今でも、これに近い生活をしている伝道者がいます。
けれども、説教のあんちょことも言うべき、註解本を読むと、一冊ならず、この聖書の箇所の言っていることが自分の状況とは全く異なっているという著者の言葉に出会います。というのは、註解本は、ほとんど、ヨーロッパやアメリカ合衆国の神学者たちが書いているからです。
彼らは、神学校や大学の神学部で、年金が保証されている人たちです。また、彼らが基本的に読者に想定している牧師たちの生活も、日本とは比べ物になりません。ヨーロッパであれば、通常の教会の財政は、税金で賄われています。つまり、牧師と言うのは、いわば、地方公務員であるのです。
このような状況には、長い歴史があります。古代の末期にローマ帝国でキリスト教が国教になると、牧師たちの身分は保証されることになりました。彼らは、封建地主として、身分制の議会では第二身分として、身分保証されてきたのです。
イビーもまた、宣教師として、安定した生活を捨てて、日本に来たと言うことでしょう。地主たちの用意する家、講義所、仕事、俸給は、それなりのものだっただろうと思います。けれども、パンにカリカリベーコン、焼きトマトと目玉焼き、香り高い紅茶の朝ごはんを食べていた人が、ご飯に味噌汁、塩じゃけ、納豆、漬物に佃煮に慣れるのは容易ではなかったでしょう。イビーがどんなことを考えて、日本に来たのかについては、今後の研究課題ですが、何を置いても、ありがたいことだと思います。
お祈りします。
天の父なる神様、あなたのご計画により、わたしたちのところに主イエスが来てくださったことを感謝します。あなたが多くの人々に働きかけてくださり、福音が述べ伝えられていることを感謝いたします。このお祈りを、主イエス・キリストのお名前を通して、お祈りします。アーメン

2017年2月12日 「礼拝する者の群れ」 穴戸俊介牧師
コリントの信徒への手紙Ⅰ
2017年2月5日 「今が、その時」 今村あづさ伝道師
マタイによる福音書9:27~34

悪霊に取りつかれて口の利けない人が、イエスのところに連れられて来ました。悪霊が追い出されると、口の利けない人がものを言い始めました。群衆は驚嘆し、「こんなことは、今までイスラエルで起こったためしがない」と言いました。
イスラエルで、今まで起こったことのないことが、主イエスによって起こっています。そのことの意味を、イザヤ書35章は、鮮やかに示します。見えない人が見えるようになり、口の利けなかった人が喜び歌う。病人の癒しが他にも書かれています。また、荒れ地から水がわき出でて川となり、湖が出現するのです。さまざまな野獣におびえる必要もありません。
それはなぜか。神が来られるのです。神の栄光と輝きを現す方が、やってくるのです。主ご自身が、民の先頭に立って歩まれる。そこに神によって解放された人々が続きます。罪の縄目を取り除かれ、喜び一杯で帰ってくるのです。
マタイ9章27節では、二人の盲人が、「ダビデの子よ」と主イエスに呼び掛けます。主イエスは、マタイによる福音書の1章でご一緒に読んだ通り、ダビデの子孫でした。それは、王の家系に属すると言うことです。アッシリアやバビロニアによって、国は滅びてしまったけれども、王の家系は残っているのです。国が滅びているけれども、やはり人々の気持ちの中では王様なのです。
イスラエルの王様は、民によって選ばれ、主の御前に立てられます。そればかりでなく、選ばれるためには神ご自身の選びが必要です。この方は神に選ばれた本当の主ですから、そこにいてくださるだけで、安心できるのです。しかも、この主は、わたしたちのことを本当に分かってくださっています。心おののく人々に、「雄々しくあれ、恐れるな、見よ、あなたたちの神を。」と呼び掛けてくださるのです。
主イエスの生きていた時代、エルサレムには神殿がありました。ローマ帝国の属州となってから、神殿にはローマの神々の像が運び込まれたりしたこともありましたけれども、神殿自体はヘロデ大王が、ソロモン王の神殿に匹敵するほど、立派な神殿を再建していたのです。それは、快挙でした。そして、神殿の広さはエルサレムの町全体の6分の1をも占めていたというのですから、相当なものです。
神殿に詣でることは、ユダヤ人の大きな望みでした。律法では、年に3回、神殿に詣でることが奨励されていました。けれども、新約聖書の主な読者たちは、ローマ帝国のあちこちに散らばっていて、そんなことはなかなかできないことでした。一生に一度でも…と言う切なる願いは、敬虔なユダヤ人なら持っていたことでしょう。
さらに、マタイによる福音書の書かれた時代の直前には、このヘロデ大王による神殿も、ローマ帝国によって徹底的に破壊されてしまいました。それは、ローマ帝国に対する内乱が、ガリラヤとユダヤで発生したからでした。エルサレム神殿が破壊され、神殿の中に置かれていた黄金の七枝の燭台、供え物のパンを置く台などが、ローマ兵によって運び出される様子は、ローマの凱旋門の一つにレリーフになって残っています。こうなると、遠いところから神殿に礼拝しようにも、エルサレム神殿がないので、物理的にできないと言うことになります。
けれども、イザヤ書では、「そこに大路が敷かれる。」と予言されています。この「大路」つまり広いまっすぐな道は、神殿へ続く道なのです。神に向かう道。当の神殿が無くなってしまっているのに、神殿への広い道が開かれると言う、この予言は、エルサレム神殿が破壊されてしまったこの時代には、実現しないのでしょうか。
いいえ、主イエスご自身が先立って進まれているのです。その先は、父なる神に通じる道なのです。この方に信頼してついて行けば、必ず神に通じるのです。エルサレム神殿など、必要ないのです。御言葉がわたしたちを導く。主イエスご自身がわたしたちを神へ導く大路となってくださるのです。
汚れた者がその道を通ることはない、と言います。主イエスによって、人々は汚れから解放されるからです。罪から、人々の共同体から遠ざけられている隔てから、解放されるからです。なぜなら、御子なる神ご自身が、清めてくださるからです。
私たちは、主イエスご自身が、人々を罪から解放し、清めてくださり、病を癒してくださったことを知っています。しかし、それによって主イエスは、十字架の死を遂げることになりました。それほどに、罪は大きなものなのでしょうか。

2016年度は、東京神学大学の継続教育と言う制度を使い、週に1日、金曜日に三鷹まで通っていました。それも、そろそろ終わりに差し掛かっています。レポート作成のために、いろいろな本を読んでいます。
その中の社会学的な論文に、ローマ帝国で流行した疫病についての研究がありました。2世紀の半ばに天然痘が流行して、推定で人口の3割が亡くなったという推計があるそうです。しかし、そこで驚いたのは、当時の一般的なギリシア人の医者は、病人を治療しないで、自分が感染しないように田舎に疎開してしまった人が多かったと言うのです。
病気が感染すると言うことが知れるようになると、病人は家に一人で取り残されるということが発生しました。介護されることもなく、死を待つほかなかったということです。死体は、町じゅうに溢れ、そのままにされたということです。
これこそが罪ではないでしょうか。
こんな中で、キリスト教徒の人々は、病人を介護し、手厚く葬りました。それによって、病気に感染する人もいたのでしょうが、一方で助かる人も多く、死亡率はキリスト教徒と異教徒で、かなり異なってくることとなったそうです。本によると、きちんと介護することで、死亡率は三分の一に減少したのだそうです。それによって、キリスト教徒の割合は高くもなったでしょうし、このようなことを通じて、信仰に導かれた人たちも多かったことでしょう。
旧約聖書の律法では、盲人の人や口の利けない人は、共同体から除外され、神殿に詣でることも出来ませんでした。しかし新約聖書では、イザヤ書が予言したとおりに、主イエスによって、これらの人々は見えるようになり、口が聞けるようになりました。そのような奇跡は、主イエスが天に昇られた後も、教会で確かに行われたと言うことです。
得体のしれない恐ろしい病気に自分も感染するかもしれないと考えれば、この時代の人々が感染しないようにと逃げ出したのは、当たり前とも言えます。今日では当たり前の、病人を看護することが、キリスト教徒から生まれたのだということに、驚きを感じるとともに、病人を前に逃げ出すと言うキリスト教徒でない人々の心理も、分かる気がするのです。
現代の日本の社会は、病院も整い、福祉制度もあり、一見、キリスト教が社会で果たすべきことは既に行われつくしたのではないか、と思うこともありますが、実際には日本人にも、ローマ時代のキリスト教徒以外の人たちの振舞いとあまり変わらない現実があるのではないでしょうか。今回は、福島原発事故からの避難者に対するさまざまな嫌がらせがあるという報道で、このことを感じました。
私たちのために、十字架の苦しみを受けてくださった主イエスは復活され、既に勝利を得ています。わたしたちに先立って進んでくださいます。その主イエスを前にして、得体の知れない怪物や、野獣もわたしたちに襲いかかってくることはありません。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる。」高らかに宣言してくださりながら、わたしたちを導いてくださるのです。
信頼して、ついてまいりましょう。
お祈りいたします。
在天の父なる神様。あなたのお名前を賛美いたします。復活の主イエスがわたしたちに先立って進んでくださっています。わたしたちの目を開き、口に言葉を与えてくださいます。御子を与えてくださり、感謝いたします。私たちが、信頼して歩んでいくことができますように、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン

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