礼拝説教
説教本文・(時に要約)を掲載しています。音声配信もあります。
2018年2月25日 「ここに持って来なさい」 今村あづさ伝道師
マタイによる福音書14章13~21節
2018年2月18日 「時は満ちた」 田邊良三牧師
マルコによる福音書1章9~15節
2018年2月11日 「この力はどこから来たのか」 今村あづさ伝道師
マタイによる福音書13章53~58節
2018年2月4日 「あれは洗礼者ヨハネ」 今村あづさ伝道師
マタイによる福音書14章1~12節
「あれは、洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」神の裁きを受けたヘロデの絶望のつぶやきです。
ヘロデは、洗礼者ヨハネを自分が持っている権力で殺しました。ところが、神様によって生き返った。自分は神の前では何の力がないことを思い知らされたのです。
かわいい義理の娘の願いがあったから、心は痛むけれど、誓ってまで約束したのだし、客の手前でもあるし、仕方なしに洗礼者ヨハネの首を刎ねるしかなかった。人間相手の言い訳としては、かなり良く出来たものでしょう。しかし、このようなことは、時の権力者たちが民衆を欺く常套手段です。「仕方なかったんだ」と見せかけて、実際は自分のやりたい放題を通したのです。
このような言い訳は、人を騙せることもあります。しかし、人間の目はごまかせても、神の目はごまかすことができません。彼は、洗礼者ヨハネを殺しました。さらに使徒言行録12章によると、イエス様の兄弟ヤコブを剣で殺し、ペトロを牢に入れて殺そうとしました。しかし結局、主の天使が彼を撃ち殺し、蛆に食い荒らされて、息絶えたのです。蛆に食い荒らされるとは、地獄で苦しむことを意味します。彼は、主なる神に呪われ、陰府で滅びたのです。
権力を持ち、富も家族もあるヘロデの人生は、旧約聖書の律法では、祝福に満ちたものであったはずです。しかし、新約聖書ではすべてが新しくなり、彼は呪いの内に置かれます。一方でキリストは、貧しさの中に生まれ、労苦を味わい、十字架の悲惨な死を迎えました。しかしそれは、神の栄光を現したご生涯でした。キリストが持っていた人間としての弱さは、神の働きを妨げません。主イエスノご生涯は、最初から最後まで神に祝福されたものだったのです。
主イエスによって、真に新しいことが始まっています。「見よ、新しいことをわたしは行う。今やそれは芽生えている」と、御生涯の中で語り、「見よ、わたしは万物を新しくする。」と黙示録では予言されています。キリストを通して現れた奇跡を行う力、神の力によって、死は勝利に飲み込まれます。絶望の中に希望が現れ、死の中から命が生まれる。わたしたちもまた、新しくされ、主の希望の中に生かされていくのです。
(説教要約)