理解と確信の違い~IIコリント1:12-16

 ラグビーワールドカップで様々な感動が日本に沸き上がりました。歴史上初めての決勝トーナメントにおいて世界の厚みを体験しましたが予選リーグにおいては全勝で上位の国から大金星を挙げて世界でも話題となりました。
アイルランド戦やスコットランド戦に臨む時に選手達は一週間ほど「絶対勝てる」と自分達に言い聞かせていたそうです。その期間というのは世界であらゆるデータ予測、主観的な予想が飛び交っていました。自分達の過去のデータから来る勝てる可能性という理解よりも選手達は確信に立とうとしていました。
その確信は気後れしたりすることなく最善の動き、判断をすることにつながった思います。
聖書を見る時に前人未踏の試練や問題の中で信仰の確信にあるいは立ち、また従順に神様のことばに従うことによって前進していったケースは数多くあります。
ここには神様に対する理解ということよりも理解出来なくても信頼して従う姿勢、また誠実な関係、理解し合おうとする情熱などがあります。特に新約聖書においてはパウロの宣教旅行の範囲を見ても分かるように様々な地域、文化の中に建てられた教会の中で働きが進められています。ここには主にある一致、天国の価値観に立とうとする視点の転換がありました。理解よりも信仰の確信がうえをいっていました。心を柔らかくして神様の時、方法で歩めるように備えていきましょう。

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