国をとりなす者となる~Iテモテ2:1-4
現在世界にあるすべての国にはなんらかのかたちの統治する構造があり、その中にはリーダーが立てられています。そして権力という大きな力や誘惑の中でひとりの人としての戦いもあるでしょう。
多くの人にとってそのような権力とは無縁かも知れません。こうすればいいああすればいいと意見は言えてもそれを自分がなったら出来るかと言うと出来ないことも多いでしょう。だからと言って意見を言ってはだめだというのも違います。
聖書には王とすべての高い地位にある人達のために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさいとあります。ここを注意深く見ていくと私たちは単に統治される側ということではなく、王なる祭司として神にとりなす者であり、神様からの守りを祈る者であり、主から受けたことを願い求める者であり、そして祈りの結果としての実を見て感謝を献げることが赦されている者であることが見えて来ます。
主が私たちの祈りを通してこの国に圧倒的な神様の御業が起こされていくように心を合わせて祈り、とりなす者とされていきましょう。