週報より
イエス様の愛はいつも変わらず私達に注がれています。しかし私達が雨の中で傘をさすようにイエス様の愛を受けないでいつまでも過ごしてしまうこともあります。神様には限界なんで存在しないのに私達がいつの間にか制限してしまっていたり、そんなことはないでしょうか?そこには不信仰以外のなにも存在しません。朽ちることのないイエス様の愛がいつの間にか自分から離れているように感じたり、でもそれは自分が離れているだけかも知れません。大切なのは信頼することです。自分の中心に常にイエス様を置いているでしょうか?パウロはどのような状況、環境の時にもエペソ人への手紙の結びにあるようにイエスキリストを朽ちぬ愛を持って愛すると書いているようにまず自分自身がそのような真実を持って神様を愛していました。私達も同じように朽ちない愛を持って主に近づいていきたいものです。初代教会のクリスチャン達の迫害にも負けない永遠に続いていく朽ちることのない信仰は後に世界を大きく変えました。私達も後の時代に信仰の遺産を多く残していきたいですね。