きよく備えた器となる~IIテモテ2:19-21
聖書には様々な例えを用いていろいろな角度から神様の思いとはなにか?罪の本質はなにか?など多くの示唆に富んだメッセージが詰まっています。
そのひとつに器としての例えがあります。尊いことに使う器もあればそうではないことに用いる器もあります。確かにすべての器は生活するうえでは必要です。自分の大切なものをしまっておくための箱もあればゴミ箱のような箱もあります。神様の御手の中にあるならばすべての働きは尊いと言うことも出来るでしょう。
しかし、聖書にはよりきよく、より尊く、より主に近くされていくことをこの器の例え話から記しています。私たちの肉なる性質は自己中心的な方向に進みやすいです。しかし、主にあって進むならば私たちは主の手のうちにある器として主の働きを運ぶものとされるのです。
主の前に自分をきよく保ち、信仰から信仰へ、成熟からさらに成熟を目指して整えられる者とされていきましょう。