週報より

言いたい時にもし何でも言っていたら、それは多くの誤解や反感をかったりするかも知れなせん。配慮ある人は自分が言いたいことをいうよりも伝えたい内容が相手が理解できるようにある時は知恵を持って語り、またある時は行動をもって示したり、また語らず待つということも時としてすることでしょう。それは相手が語ることを十分受け止める準備が出来ているかを見極めながらコミュニケーションをとっている証拠です。こうして書くのは簡単ですが実行するとなると誰しも壁にぶつかったりすることはあるでしょう。「まだいうべきじゃなかった・・・」と後で後悔することも多いかも知れません。しかしまずどんな形であっても関わりを持とうとすることは大切なことです。相手にしなくなってしまうと無関心になり何を言っていても自分とは関係ないと決めつけてかかってしまうからです。しかし、今はちょっとと思うような時でも神様が語りなさいと言われる時があります。(誰でもいつでも当てはまるワケではないので注意)そう言った時には恐れず大胆に語る必要があるでしょう。パウロの生涯でそういった時が何度かありました。彼はもともと雄弁で大胆に語り、議論する人間でしたが、それでも状況を敏感に察知しつつ語っていました。彼が語るのをやめて街を移動しようかと思うような時に主は「恐れず語り続けなさい」と言われたのです。その時を知るために必要なのはまず神様とのコミュニケーションです。日々の生活の中に主との語らいを持ちましょう。そういった習慣を続けていくことで、静かな神様の御声を聞き、見極め、従うことができるようになります。

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