週報より

コミュニケーションの基本に「ほうれん草」呼ばれ親しまれているものがありますね。「報告」「連絡」「相談」の3つのものをまとめたものですがこれに対し受けた側は理解し時によって「同意」「拒否」「無視」という意思表示をします。また「協議」といったアクションに発展する場合もあるでしょう。この「協議」まで発展した場合に必ずなんらかの結論が伴います。そして今のようなデジタル化が進んでいない状況であればなおのことその結論を伝えるために適切な対応が必要になってきます。会社間の交渉でその結論を社長がわざわざ来て聴こうとしているのにアルバイトに伝言を任せる会社はまずないでしょう。また逆にアルバイトが伝言を聞きに来ても重役が対応すればとても大切に扱っている印象を与えるのはないでしょうか?どんな情報であれ受ける側よりも伝える側の対応で印象が変わってくるものです。医療のことならお医者さんから聞くと納得しますし、電気のことなら電気屋さんから聞くと納得できます。ではいのちのこと、天国のこと、救いのことはどこから聞くと私たちは安心するでしょうか?それは神様から聞くのが一番いいでしょう。そして神様は歴史上から約40人の人を選び用いて聖書を与えて下さいました。それによって天国はあるのかないのか?どうしたら天国にいけるのか?どうしたら赦されるのか?どうしたら変われるのか?人はなぜ生きるのか?といった疑問に対する答えが出ているのです。すべての人が受け止める事が出来るようにあらゆる身分、様々な背景をもった人たちによって聖書は書かれているのです。この喜びの知らせ=ゴスペル(福音)を喜んで受け止め、その中に生きるものでありたいですね。

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