週報
人を信じることとまた疑うことのバランスをとることは非常に難しいことです。誰でも信用していては大変な目に遭うこともあります。信用しなければ伸びるものも伸びません。人は期待されていると感じたときに能力以上の結果を出したり出来ますし、また喜びを感じるものです。逆に自分が信用されていないと思うと能力以下の結果しか出せなかったり、同じことをしていても面白さややりがいを感じる方はおそらくほぼいないでしょう。では信じる、疑うのことふたつをどう使い分けているのでしょう?どこで見極めて判断しているのでしょう?大抵その人の経験や好みに応じて使い分けていることが多いのではないでしょうか? 過去こんなことがあったとかそういうことでしか判断できないのです。つまり先のことは判断できないのです。神様は未来完了形で私たちのことを見ていてくださるお方です。つまり今は駄目でも先ではよくなると簡単に言えます。その根拠は?と聞かれるとそこに神様のご計画があると答えることができるでしょう。聖書はまさにその歴史です。ただ私たちが勘違いしてはいけないのは運命が決められていてそのレールを進んでいくだけではないということです。自分で神様を信じて歩む時に神様は道を示し、造り、整えていって下さいます。それまでのマイナスと思えることすらプラスに変えて下さるのです。