十字架に見る信仰

イエス・キリストの十字架の贖いは私たちの罪をただ主の義と愛により覆って下さる素晴らしいものでした。ただ信仰により、イエス様を救い主として信じるその信仰によって救われ、信仰からさらにきよめられていく体験を私たちはすることが出来るのです。この信仰のスタート地点は私たちの罪を認め、神様の前に遜ることです。自分で自分を救えると思っている段階ではイエス様を救い主として認め、信じることは出来ません。そしてこの謙りを伴った悔い改めた心を主は喜んで受け入れて下さるのです。イエス様が十字架にかかっていた時にもう二人が十字架につけられていました。ひとりはイエス様を罵り、ひとりは砕かれた心を持ってイエス様に接しました。その結果はイエス様のことばを聖書から読み解く時に全く異なる結果を生み出します。罪の代価としてふたりは同じように十字架につけられていました。しかし永遠という時間をどこで過ごすかという点においてこのふたりは全く違う歩みをすることになったのです。刑罰は受けても本質的な罪、また本質的な救いという点で見れば心が伴わない刑罰には霊的に贖う力はないということが分かります。それほどにも私たちの罪は深いものです。だからこそ私たちはイエス様の憐れみを求める者である必要があります。信仰の創始者であり完成者であるイエス様から目を離さないで歩んでいきましょう!

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