週報より

多くの国で文化としてのオカルトや偶像礼拝が浸透しています。そのほとんどは恐れによって人を束縛し、またあいまいな教理によって神秘的になりたっています。そこには営利関係も生じ、政治との癒着や教育への影響力を持っています。そういった文化圏への宣教は困難と言われますが日本を始めそういった土着の宗教文化を持つ地域での宣教において聖書の中でもまた現代においても起こっているのが霊的戦いです。戦いというといやがる方もおられるかも知れませんが信仰の戦いは=いやしとも言い換えることができます。この戦いは怪我をしている箇所を消毒するとばい菌と消毒液との戦いがそこにはあるわけです。しかし顕微鏡を使わないとそこまで細かく見ることは出来ません。しかしいやしの背後には戦いがあるわけです。この戦いの特徴は好むと好まざるとに関わらず、すべての人に関係あるということです。サタンは自分の策略を知らせないように様々なカモフラージュを巧みに使ってくるでしょう。しかし聖書には私以外を神として拝んではならないと十戒に明確に記してあります。それを窮屈だとか自由がないという反論もあるかも知れません。しかし現実問題としてなんでも自由であれば住みたいなと思う家があったら誰でもそこの子供になれるでしょうか?そんなことをしていたら大変な世の中になります。神様は自分で自分の家を知り、覚え、愛着を持ちいつも自分の意志で帰ってくるようにご自身のところに人が自分の意志で帰ってこられることを望んでおられます。信仰に堅く立ち、勝利していきたいですね。

Follow me!