週報より

私たちは非常に都合良く出来ていて、自分に危害を加えた人には厳正な処罰を、そして自分の失敗は棚に上げたり、赦してほしいと願います。犯罪をよく見ると証拠隠滅を計ったりしているケースの方が自首するケースよりも多いことが目にとまります。しかし聖書にある主の祈りには自分の裁くように自分を裁いてくださいとあります。つまり自分が他人を裁いたり計ったりする基準に基づいて自分を裁いてくださいと神様に祈っているわけです。短期であったりすぐ他人のせいにしているような状態ではこれは一大事です!聖書には怒るに遅く悟るに早くなりなさいとありますが御霊の実である柔和、寛容、愛がなければ到底こんな基準で自分も裁かれたいというところまでは自分の心を柔らかくすることはまず不可能でしょう。聖書にはまた復讐は神がすることである。とか目には目を・・・の有名なことばもあります。その都度言っている対象が違うので書いている内容の実行部分に関しては差があるように感じますがなにかされてもそれ以上の仕返しをしてはいけない。また根本的に仕返しや復讐はしないようにというのが聖書の基準です。復讐は神様がするというのは必殺仕事人のように復讐を代行して下さる、というわけではなく、永遠の尺度の中で神様の裁き、また恵みにおいて不公平はない。ということです。裁きあったりすることが発展して戦争が起こったり、様々な悲劇が生まれます。足りないのはお互いに理解しようとする心やちょっとした優しさ、ゆとりではないかと思います。私たちは心にそういったものをどれほど持っていますか?またどれだけ意識して歩んでいますか?イエス様とともにゆったりと歩んでいきたいと願います。

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