週報より
私たちの日常生活にどれだけ多くの情報が溢れているか考えたことはあるでしょうか?身近な情報だけでもかなりの量あると思いますが世界中で毎日10万部以上の書籍や情報が飛び交う時代に私たちは生かされています。一日に世界に飛び交う情報ですら私たちが一生かかっても把握しきることは不可能でしょう。そういった状況におかれた時に私たちは得るべき情報と得なくてもいい情報を区別していくことが必然的に起こります。政治、環境問題、国際問題、教育問題などからスーパーのチラシに至るまで多岐に及ぶジャンルの中の自分が興味がある、また好き嫌い、フィーリング、経験などの要因から取捨選択していくわけです。そして自分で得ようと思ったジャンルに限り新しい情報を得ていくようにニュース、雑誌、インターネット、サークルなどの手段を用いて「自分が進んでいる」と思う情報を得ながら生活していくわけです。ですから自分が今必要を感じていない事柄に関して悪気はなくても無関心になりやすくなったり、軽くあつかったり、また自分にとても大事な事柄なのに放置いていたりすることも出て来やすくなります。どんなにこれからさらに交通が発達し、情報化社会が進んだとしても神様は私たちを愛して下さっているという聖書のメッセージは変わることはありません。また聖書が罪と教えている事柄が変わることもありません。激動の時代だからこそ、しっかりと芯の通った歩みをする必要性があると感じます。決して変わることのない神様の愛の内に留まり、移りゆく世界をのびのびと歩んでいきたいですね。