週報より

最近は「キレる」ということばが昔の意味と違った用いられ方をしています。頭の回転がいいキレるではなく、前後の見境がなくなるキレる・・恐ろしいことだと思います。こういったことを見て昔はよかったと言う方がおられるかも知れませんが、歴史の紐を解くときに、多くの独裁者や独裁政権、信じがたい事件を私たちは知ることになります。人は思い通りにならなかったり分からないことがあるとイライラします。またそれをどこかにぶつけたりしそうになることはありませんか?そういった衝動がキレるということに発展していくのです。沸点の温度差は確かにあると思いますが少なくともすべての人がそうういった危険性を持っていると思います。それが家族間であったりすることから始まり、国という規模まで発展して戦争になるのです。最近はテロも世界的に見ると急激に増えて来ていますが、これも思い通りにならないからテロに発展し、自分たちの言い分を通そうとすることです。たとえがわるいかも知れませんが子供が駄々をこねるのと大差ないようなケースもあると思います。そういった心の闇から他人の迷惑を顧みなかったり、また他人が喜んでいるのを疎ましく思う苦い根が生まれ、果ては大惨事を引き起こす火種になります。火はいつ消せば簡単に処理できるでしょうか?それは初期消火が大切です。時が解決するということはこれには全く当てはまりません。火はほっておくと街をも燃やす尽くすことができることを知らなければなりません。苦い思いは時間が経つにつれ個人と共存し、依存関係になり、果ては生きる目的にまで発展します。さらに思いこみや妄想がそれに尾ひれをつけるのです。私たちの中にある苦い根はなにでしょうか?主にすべてを委ねて歩んでいきましょう。

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