心の拳銃

おはようございます。最近アメリカの乱射事件や長崎での銃撃事件など拳銃の絡んだ悲惨な事件が続きました。
それに伴って銃に対する規制を求める声も上がっています。
しかしそれ以上に重要なのは心の拳銃だと思います。
規制がダメというつもりはありませんが
もし拳銃ではなく刃物だったら刃物を規制したり
農薬だったら農薬を規制したとしても
手を変え品を変えこういった事件は起こるでしょう。
そこで問題になるのは使い方を間違うと危険なものでも
安全に扱うことができる健全な心だと思います。
聖書でいう「罪」の基準は実際に行動に起こす以前に起こる心の中の状態を指します。
心の中で「殺してやりたい」という思いを持ち続けてしまうことで
状況によってそれが爆発してしまったりすることは多いのではないでしょうか?
また仕方がないと自分を納得させていてもどこかで無理がきてしまう。
良く教会のメッセージでも言いますが
仕方ないということは「本当はそうあってほしくない」=<「嫌だ」と発展して行く感情です。
私たちの心に今拳銃は潜んでいませんか?

Follow me!