週報より

聖書に出てくる人物で牢獄に入った経験のある人物は多く存在します。旧約においてもヨセフやダニエル、新約ではバプテスマのヨハネやペテロ、パウロなど多くの名を残している人物が牢獄を経験しています。今のように冷暖房完備ではもちろんありません。そして衛生面においても非常に悪く栄養面も乏しい生活を強いられたと想像できます。しかし彼らはそこでも神様を見上げて主を賛美し礼拝しました。期間こそ数日~10年以上と幅広いですがその境遇に置かれた時こそ彼らの真の信仰が試された時と言ってもいいと思います。その暗い冷たい牢獄の先に想像をはるかに超えたことをされる神様のご計画がありました。まさに暗闇から光に移されるとはこのことでしょう。ヨセフはエジプトの最高の権力を与えられ多くの人々を飢饉から救いました。ペテロはパウロは幾度となく投獄を経験しても尚宣教に励み続けました。そこには神様への信頼と信仰が満ちていました。私たちの人生にはこういう体験はあまりないかも知れません。「義のために迫害されているものは幸いです」とみことばにありますが信仰故の迫害というのは日本においては表だってはそうありません。しかし生活の現場でクリスチャンであることを隠していたほうが都合がいい瞬間に遭遇した経験はないでしょうか?こうした瞬間が私たちにとってのひとつの牢獄です。信仰に立って主にある対応を知恵と愛を持ってしていきたいですね。

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