週報より

私たちの家庭には主の恵みによって2人のこども達が与えられています。当然そのこども達にはそれぞれ名前がついていてそれぞれに意味があります。また私たちにもそれぞれ名前があり、それには親からのいろんな思いやメッセージ、由来があることでしょう。それと同じように「クリスチャン」という当たり前のように今使われている呼称にも意味があります。それは今をさかのぼること約2000年のアンテオケという街で「キリスト者」また「クリスチャン」という呼び方が教会の外の人たちから起こったのです。このことばはギリシヤ語の「キリスト」にラテン語の語尾がついたもので、この語尾には「……に属する者」という意味が含まれています。ですからごく初期はアンテオケの人々が嘲笑したように用いた側面があるかも知れませんが、その用い方は非常に実は良く信仰のあり方を現したものでした。もともと初代教会では「」兄弟」とか「弟子」「聖徒」「この道の者」といったことばで自分たちのことを表現していましたが次第にこの「クリスチャン」ということばが好んで使われるようになったのです。名は体を現すと良く言いますがまさに自分たちはキリストに属する者だという認識が当時の弟子達に強く根付いていたことがこのことからもよく分かります。私たちはキリストとどのような関係で生活していますか?属していますか?それとも遠くにキリストを見ていますか?背を向けていますか?私たちが信仰を持ってキリストに近づく時、キリストはその愛と恵みによって私たちの人生を豊かに作りかえて下さいます。聖霊によって満たされて歩む人生は本当に素晴らしいものです。キリストに属した人生を共に歩んで参りましょう。

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