週報より

今日の聖書箇所には所属と中身の違いを分かりやすく書いている箇所ですがある人が例えば医者として長年努めてきてもそこを辞めてタクシーの運転手を始めたとします。彼はもはや医者ではなくタクシードライバーであり、給与もタクシー会社から支給され、病院からはなんの給与もなければそこにポストもなくなります。しかしお客さんが急に苦しみだしたとして正しく処置なり判断して適切な病院に連れていったりとかもできるでしょう。それは彼がかつて医者であったが故です。その反面長年家から病院までしか車も走らさなかったため地理にはうとくドライバーとしてはまだまだ覚えなければならないとこも多いことでしょう。そのように所属が変わってもすぐに一人前になるわけではなく、また謙虚に覚えていかなければならないことや、その業種に従いノウハウを吸収していかなければ一人前にはなかなかなることは出来ないでしょう。これはなにを言っているのかというと十字架による救いと救われたあとの成長(難しくいえば聖めとか聖化)はまた別の問題であるということです。かつて名声があったとしても業種が変わればそれは通用しません。ですからすべての人から学んでいこうという姿勢、また今日の聖書箇所においては金銭ですべてが手にはいると思っている姿勢、しかも自分の栄光のために立場や賜物を求める姿勢をペテロは強く非難しました。私たちは何のためにもっと知恵と力がほしいと神様に求めるでしょうか?それは自分のためではなく神様の栄光のためであり、また神様の御心が成るためです。通り良き管として整えられていきたいですね。

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