週報より~補い合う信仰~

信仰はまず神様との縦の関係をしっかりするところから始まります。キリスト教は特にこの神様と自分の一対一の個人関係を土台として、そこから横の人間関係が始まっていく考えが強いと感じます。それはすべての人間関係の上に聖書的理解から始まるエッセンスを入れてより良いものとするためにまずそれぞれが整えられていくことからはいるのがベストだからかも知れません。ただだからといって行き過ぎた個人主義、自分だけよければほかはどうでもいいという自己中心とは違います。Iテサロニケ3章ではテサロニケの人々を励まし、信仰の不足を補うためにテモテが遣わされていくシーンがあります。私たちはひとりで完全なわけではありません。自分というカラーを神様によってしっかりと見いだしていき、そしてそれを人々とつながっていくことで、パズルのピースをつなげて大きな絵を完成させるようにそれぞれの時代に、また世代に置かれている神様の歴史を形作っていくのです。パズルのピースはひとつひとつ周囲と補い合うように作られています。どれが欠けてもその絵は完成しません。そういった考えを少しだけでも持つことで私たちは独りよがりではなく、自分らしくあること、調和すること、一致することを意識していくことが出来ます。主にあって自分らしく輝き、そしてお互い輝いていける人間関係、さらに神様にあって輝く人生を送っていきたいですね!

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