週報より

東北を震災から一年が経過しました。現在でも多くのボランティアによる復興への働きが継続しています。また先日は仙台において希望の祭典が大々的に行われ世界中から多くの人々が東北のために祈りと賛美を献げました。多くの知人がそこに集っていく様子を見聞きする中で復興へと思いを寄せ祈りに覚えました。震災時も多くのクリスチャンボランティアが世の光地の塩として素晴らしい働きと共に現地で被災された方々に希望を与えてる素晴らしい証しも多くあります。その根底にあるのは信仰から来る行動であり、マタイ5:16にあるようにどんな時にも私たちと共にいて助けて下さるイエス様の姿を連想させるものです。信仰とは学問ではありません。私たちの生き方そのものです。もちろん正しい聖書的知識は私たちを成熟へと導いてくれる素晴らしいものです。しかし信仰に基づく行動は私たちの知識を体験にし、信仰をより生かし輝かせ、自分だけのものではなく人々と信仰にある喜び、希望を分かち合う力強いものであり、痛みや涙を覆うあたたかい愛に満ちた品性を生み出す原動力になります。ヤコブ3:2にある通りその過程では私たちは失敗もします。しかし失敗を経験したからこそ、そこからくる思慮深く配慮に満ちたことばを私たちは得ることが出来るのです。日本はまだ多くの痛みを覚えている国です。私たちはその痛みを覆い。主にある希望を示し続けることが出来る存在として、ひとりひとりに与えられているタラント(賜物)を生活の中でも生かしていきましょう。

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