指さす人から補う人に

自分のことはなかなか見えないけど他人のこと、特に悪いことは良く見えますよね。本当はここから他人のふりみて我がふり直せとつながればいいのでしょうけど、そこまでいく前に終わってしまうことが多いでしょう。でも聖書が言っていることは特に教会に関してそういった欠けたところを満たしていくことが教えられています。指さすだけではなく、自分を検証し直して終わるのでもなく、補っていくのです。欠点、また弱点という一見マイナスと思える要素を満たし補っていく、そこに献身、犠牲、そして愛があります。教会はキリストの花嫁として書かれていますが妻を愛しているからこそ進んで足りないところを補う、疲れがたまっていそうだからいたわって家事の手伝いをしたり、変わってあげたり、愛があれば進んで、そして喜んで出来ることです。結果的に犠牲が発生していたとしてもそういったリスクを考えるより先に助けてあげたいから助けている。そういうアクションになると思います。出来ていないことをなぜ出来ていないのかと問う前に、手伝おうとする。相手の様子を見て察して愛で包み込んで補おうとしあえる関係が成熟した夫婦の姿ですよね。つまり成熟したクリスチャンの姿とは教会の欠けているところ、弱いところをどうにかして支えてあげたいと思えるし実行に移せる状態だと思います。私たちの生きている社会は出来る時にはいいのですが出来なくなったら本当に辛い社会。でも教会は社会とは違います。神様の愛を知り、その愛を体験し、その愛を実践していけるところです。さらに成熟を目指して神様の愛を体験していきましょう!

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