週報より

切り倒された切り株から新しい枝が生えてきているのを見たことはないでしょうか?やがてそれが元あった木よりも大きく育ち切り株から大きな木が生えているのを見たことがあります。同じ木だとしてもそれは全く新しい木として成長しそこに存在しているわけです。葉は全く違いますが、根は同じ根を使い伸びているわけです。ひとつの歴史が終わり新しい歴史が始まることが様々な業界や世界で最近は頻繁にあります。中東では多くの政変があり、日本からだけだとどの国がどのように変わっているのか具体的に把握することはなかなか大変です。しかし新しい国、また政権が出来たとしても根になっているのはその国の国民であり、また民族です。この根の部分をしっかりと整えていかなければ、いくら新しい若枝が生えたとしても、十分に育つことは難しいです。根本的に土壌から変える必要もある場合もありますよね。エレミヤ書の中にはメシア予言が記されている箇所があります。バビロンに囚われていく民が再び戻ることと、また国が回復する過程でキリストが人として歴史に現れることが記されています。それを約束し、そしてそこに神様の義があることが記されています。バビロン補囚はある意味新しい若枝を生えさせるための根を整えるためにどうしても不可避な事柄だったのかも知れませんね。罪を罪として認め、神を神として信じ悔い改める姿勢、神様への餓え乾きがなければその新しい正義の若枝に気がつき、そして求めていく姿勢はなかなか出来ないでしょう。自分が完全だと思っていては助けは求めないし必要性を感じないからです。
人は自分の力でどうすることも出来ない壁を見て初めて自分の限界に気がつくとともに助けを求めるからです。主を心から求めていく姿勢と行動を大切にしていきましょう。

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