週報より

いくら正しいことを言っていても受け入れられない状況に会ったことはありませんか?自分の言い分がいくら正しくてもそれを聞いてもらえないのは辛いことです。しかしそればかりか嘘つき呼ばわりされたりしたらもうふさぎ込んでしまいたくなりますよね。旧約の予言者エレミヤは週報よりまさにそういう誤解を受け、辛い経験をしながらも真理に堅く立ち、そしてそれを伝えた人物です。なんでも励ませばいいというものではなく、時として注意を促すことや警告を与えることも愛であると思います。もし親が子供の言うとおりになんでもしていたら、それはとんでもない結果を招くでしょう。時として制限を与えることや限度を覚えるようにすることもとても大切なことです。子供に注意したり叱ったりすることはとてもエネルギーや信念がいることです。神様はそれ以上に私たちを愛し、またそれ故に時として試練を通らされることがあることをしっかりと認識していなければ私たちの信仰は風にもてあそばれる落ち葉のようになってしまうでしょう。枝は幹にしっかりとつながっていてこそ価値があり、本来の目的を達成することが出来ます。主はぶどうの木、私は枝ですとあるように、どんな試練の嵐が吹き荒れる時も主につながり続けていきましょう。そして豊かな実を結ぶ者となりましょう!

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