週報より

旧約聖書を見るとイスラエルの民の失敗や罪と神様の愛と赦しの繰り返しが多く見られます。義なる神、裁かれる神、と言った側面はもちろんあります。しかしそれ以上に十戒をはじめ律法で決められているとおりというよりも遙かに哀れみがあり赦しがあることを発見出来ます。旧約を貫いているテーマのひとつに人は自分の力で真の義人にはなれないというのがあると思います。旧約をしっかりと読み解いてみても落ち度がないように見えるのはダニエルくらいかも知れません。しかしそれでも彼は神様の前に真に正しい人とかアブラハムのように神様に友とは呼ばれてはいません。聖書に書かれていること、そしてその行間に含まれている様々な要素を注意深く見ていくならばそれを信じているといいつつ聖書の基準に達することのできていない自分を発見します。まるで日めくりカレンダーのように自分の足りなさを見つけ、それと同時にそんな自分を愛し期待しておられる神様の哀れみと赦しを見つけることが出来ます。そういった時にひとつのみことばが心に響きます。「心は燃えていても体は弱いのです」私は腰と首にヘルニアを患っています。特に首の扱いは毎日神経をすり減らします。ちょっとしたことで調子を崩してしまうからです。ちょっとしたことで指先まで痺れた状態で生活しなければなりません。そういった時にはイライラしがちですし、ゆとりも普段よりもなくなります。そういった時には理想とはほど遠い自分に嫌気がさしますが、神様は今の状態の自分に何を期待しておられるのだろうかと思いめぐらすのです。自分の弱さを知り、神様の偉大さを知る。簡単な事ですが頭で知るよりも、心でしっかり受け止めていきたいと願います。

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