週報より~自由の中で見出すもの~

神様は私たちをロボットのような存在ではなく、自由意志を持って決断出来る存在として創造されました。そして私たちの自由意志を尊重して下さる御方です。その中で神様を知り、信じ、近づいていくからこそ信仰には価値があり、神様はそれを喜んで下さいます。また逆に神様を知りながら知ろうとせず、かえって遠ざかってしまっている人、またそういう状況を経験した人も多いと思います。そこには、神様の寛容さがあるというよりも放任があります。罪から来る結果は死であると聖書には書かれていますが、聖書を知らずともそれぞれの価値観、文化の中で悪いことをするとその報いを受けるという考えは存在します。因果応報という表現であったり、悪いことをしている人を見てあんなことをしてたらろくな死に方をしないという発想、ばちが当たるという考えなどがそれに当たります。それは根本的に誰がその行いに対して報いているのでしょうか?誰が裁いているのでしょうか?そのことばの背後には神様の存在を認めている心があります。あとはその神様を知ろうとするか、なんとなく分かっているけども知ろうとしないかの違いです。神様を知っていくときに自分の良心ではどうにもならない自分の根本的な安らぎを知ることが出来ます。なぜなら私たちは自分が完全でないのは知っているし、義人でないことも知っているからです。どこかで裁きを恐れていたり、誤魔化して生きていないでしょうか?神様はそんな私たちを愛し、罪を赦して下さる方です。赦しを宣言されることは素晴らしいことです。もう裁きを恐れて隠れる必要なありません。到底支払う事の出来ない罪の代価を抱えて苦しむ事もないのです。神様を正しく知り、そして平安と喜びに満ちて歩んでいきましょう。

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