週報より~悔い改める心~

聖書の中には神、罪、救いという大まかな概念があります。まず天地万物を創造された神様がおられる事、そして私たちには罪がありその罪によって神様との関係が断絶されたこと、しかし神様は私たちを愛するが故にキリストの十字架と復活を通して私たちの罪を購って下さいました。行いでは義を確立することの出来ない私たちに信仰による救いを与えて下さったのです。この罪を知ることから救いを得るプロセスで大切なことは悔い改めです。イエス様が公に働きを始められる前にバプテスマのヨハネと呼ばれる人物が悔い改めのパプテスマ(洗礼)を説き多くの人々の心を悔い改めに導いていました。悔いるだけなら誰でも簡単に出来ますが悔いて改めるこの悔い改めということばは言う以上に大変なことです。この改めるということには信仰の決断が必要であり、方向転換する決断が必要であり、行動を伴う決断が必要だからです。しかしこの悔い改めがなくてはせっかくの救いもその人にとって価値の低いものになってしまいます。もちろん行いと救いとは別問題ですがせっかくの救いの喜びやその価値を知り、そこから来る恵みを体験していくためには悔い改める心は非常に大切なものです。環境や相手のせいにすることは簡単です。しかし仮に自分は悪くないと思っていても膝をかがめて悔い改めていく時にこそ神様からの報いがあることを覚えましょう。水は高いところから低いところに流れます。恵みもより遜ることが出来る砕かれた悔い改めることの出来る心により流れこみます。すべての人に恵みは注がれていますがそれを通りすぎていくものではなく、しっかりと蓄えていくことの出来る成熟した品性を身につけていきましょう。

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