週報より~肉欲と愛の違い~

時代の流れとして同性婚を認める国が起こってきたり、性に関して寛容であるべきという考えが世界中に広がっています。簡単な問題ではなく軽率な発言は出来ない問題ですが聖書には明確に性的な関係を夫婦間の祝福として書いてあり、婚外でのそういった関係を禁じています。

それはせっかくの祝福が祝福ではなく、かえってお互いを苦しめたり、道徳的廃退につながっていくからです。異性に魅力を感じるからこそ結婚もしたいと願うのは健全なことでありおかしいことではありません。しかし欲だけが先行してしまったり、不健全な関係は多くの痛みを与え祝福から遠ざけてしまいます。だからこそソドムを神様が滅ぼした原因として性的堕落が挙げられているのだと思います。言語解釈では愛という日本語でのことばを3つの言葉に分けて用いています。性的愛を示すエロース、そして兄弟愛,両親への愛,友情,好みなどを示すフィレオー、そして最後に神様の愛、神的,自己犠牲的,他者中心的な愛という意味を持つアガペーがあります。この中でエロースは聖書の中では用いられていません。ここが脱線してしまうと私たちは肉体的快楽を愛とはき違えてしまう弱さを持っているものだからです。

しかしフィレオーを考察していくと兄弟としての愛という表現からそれは同性であっても成立するお互いを大切に思う愛であり、聖書の中にあるクリスチャン同士を兄弟姉妹として尊重しあうという愛につながっていきます。お互いを大切にするのは兄弟であれば当然だからです。しかし兄弟であれば恋愛対象にはなりえません。しかし生涯支え合ったり励ましあう関係です。私たちが聖書にたって互いに愛しあう時にそれぞれにとってのベスト、傷つけ合う関係ではなく平安に満ちた関係が築きあげられると信じます。

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