信仰生活の実際~週報より~
信仰生活と言われるとクリスチャンであれば聖書を読むとかお祈りすること、
日曜には礼拝に行くことなどと考える方が多いのではないでしょうか?
確かにそれらも間違いではありませんしとても大切なことです。
ただどちらかというとそれらは信仰生活の土台となる部分であり、
それぞれが建て上げていく信仰生活の柱となっていく部分はそれぞれの賜物に応じて違いが出てきます。
ローマ人への手紙の中で預言、奉仕、教えること、勧めること、
分け与えること、指導、慈善などを体の器官と比較しながら書かれている箇所があります。
確かに預言となると賜物であるとうなずけると思いますがそこから続く賜物として書かれているところはちょっと訓練すれば身につくスキルであったり、
その人の性格に大きく依存する部分が大きいような性質について書かれています。
ここで賜物と自分が好きでしていることの分岐点をどう見出していくかが大切になっていきます。
勿論どれも大切な要素ですし自分には賜物がないからといって一切関わらないのも間違っていると思いますが
賜物の場合、そこに神様が与えて下さる麗しいものが結果的に伴っていくことが多いという風に私は感じます。
あくまで個人の意見としてですが通り良き管としてただ作業しているだけではなく+αの部分、
そこに神様の臨在が現されたり、
信仰の成長を大きく助けたり、
そういう要素が増し加えられていくように感じます。
自分の賜物を理解し、信仰によって受け止めてそれを磨いていく時にそれは信仰生活の大きな柱となりキリストの体である教会を建て上げていく上で大切なものとなります。
目立つとか目立たないではありません。
神様がその柱、その器官を必要として委ねて下さる賜物を大切に成熟させていきましょう。