キリストを着る生き方~週報より~

服はその人を覆うものでありその人以上に価値のあるものではありません。

しかし見た目でしかないその服装で第一印象の大部分が影響されてしまうことも事実です。

また服を見てその人の一時的な立場や好みもある程度分かるでしょう。

学校の制服を着ていればそこの学生か趣味で着ているかのどちらかでしょう。

その方向制からその人の趣味であるとか話題の方向性を考えたりするかもしれませんね。
普段着なら好きな服装で良いでしょう。

しかし学校や会社によっては制服があり、

制服があるからこそその一員である責任を感じて言動する必要が出来てきます。

自分らしくなくても丁寧な立ち振る舞いが要求されたりするのはそれを着ている間は義務的に必要になるでしょう。

またそれを着ている間は自分の趣味やプライベートを楽しむことは限りなく制限されます。

しかしその時の状態が自分らしくないのかと言われるとそれも含めて自分です。

なんらかの必要があってその共同体に属しているのですから、

少なくともそこで自分のために得ているものが何かあるはずです。

聖書にはキリストを着なさいという表現がある箇所があります。

キリストを着るような意識付けをすることによって自分の生き方に変化は生じるでしょう。

それを窮屈に感じるか喜びや誇りと感じるかは神様と自分との関係深さやその価値をどれだけ深く理解しているかで大きく変わってくると思います。

やっと受かった志望校の制服であれば誇らしげに着るでしょうし、

どこでもいいやという感覚で得た制服であればとても丁寧に扱うとは思えません。

キリストを信じることによって得られる恵みのすばらしさをもっと知って、もっと体験して今まで以上に喜びと誇りを持ってクリスチャンとしての歩みをしていきましょう。

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