隠された宝~週報より~

宝とは非常に価値があり、それを手に入れたいと思う人も多い素晴らしいものです。

さらに定期的に話題になる徳川の埋蔵金や武田信玄の埋蔵金、

ソロモンの秘宝など隠されている宝、そして実在する可能性の高いものはロマンがあると共に発見のために多くの犠牲を払う人が後を絶ちません。

それは入手が困難だから捜す人が多いのでしょうか?

もちろんそういう視点で動くコレクター的な感覚もあると思います。

しかし宝の価値を決めるのはどれほど手にすることが難しいかという事柄以上に私たちの人生、文化、価値観の中で必要性が高いかということだと思います。

埋蔵金の素材が金であれば同じ量の金は同じ価値ということになるでしょう。

世界にひとつということで価値があるのであれば河原の小石でも全く同じ物は存在しません。

お金に換えることが出来る価値があるから貴重というならば自分の人生で使い果たすことの出来ない額であればそこから上はいくらあっても意味がないですし、

もし明日死ぬのであればお金自体がその人にとっては無価値です。

永遠に残り、その人の人生すべてを変える宝は天の御国と聖書は記しています。

それは永遠に続くものです。

そしてそれはイエスキリストを信じることによって与えられます。

手に入れる間口は狭いです。

しかし誰でも通ることが出来ます。

しかしそこを通って後に受ける恵みをどれだけ受けることが出来るかはどれだけ深く神様の愛を理解するかということで変わってきます。

シンプルに神様を信頼して視点の転換をしましょう。

信仰によって今与えられているものを見直す時にそこにも宝が埋まっています。

主と共に恵みを発見していく者と変えられていきましょう!

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