信仰から出る行動~週報より~

同じことば、同じ行動で結果が同じだとしても神様に喜ばれるかどうか、また罪になるかならないかの分かれ道があります。それはそれらの言動が信仰から出ているかどうかです。神様の愛を知り、神様の御心に従って生きていきたいという愛がベースとなってそこから自分の生活における言動を見直していく時に超えられない限界もあるでしょうがちょっとしたことでよりよく出来ることもあります。しかしそういった一見向上と見られる事柄であっても動機が誰かと競争したり、虚栄心からでは信仰から出ているとは言えません。闘争心、見栄、怒りといった思いは時として凄まじいエネルギー源となりえます。しかし神様の愛を土台とした信仰から来る言動を自分自身が出来ているかを私たちは日々顧みる必要があります。ならぜら高ぶりは毎日少しづつ私たちの中に出てくるからです。私たちの本質的な問題として他人に認められたいという承認欲求があります。それを正しく取り扱って神様の前に自分自身と神様との関係の中で見ていくことが大切です。人の目や自分の感情よりも神様の思いを知っていく時に私たちは高ぶりから守られやすくなっていきます。自然と遜ることが出来るのです。それはイエス様のようにという高い目標を知るからこそ現状で落ち着いて優越感に浸るようなレベルから解放されていくからです。人それぞれ違った問題を抱えていますがそれを他人に押しつけたり掲げる必要もありません。神様の前に重荷を下ろして自分の内面を探って頂きましょう。足りないところ、認めたくないところも発見するでしょう。しかし神様はそれでも尚愛し、赦して下さっているのです。そんな神様をもっと知って、いつまでも残る信仰と希望と愛をより広く深く、そして高くしていきましょう。

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