天に連なる教会

教会に期待しましょう。それは教会堂という建物ではなくイエス・キリストを頭として連なるクリスチャンの集まり自体を指す教会に関して聖書が記してあることです。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいものものによって満たす方の満ちているところです。とエペソ人への手紙にあるように教会はキリストの花嫁であり、体であり、神様の臨在の満ちているところです。クリスチャンひとりひとりが単数ではなく複数集まり共に祈るところ、賛美するところに神様はご自身を現しておられます。インターネットが普及し便利な時代になっていますがこの「集まる」ということがとても大切な意味を持っています。客観的にネットで都合のいい時に「見る」のではなく集まるのです。主の御名によって集まり、祈り、賛美し、主を求めていく時に私たちが様々な神様の恵みを受け取っていてそれをお互いに合わせていく時に神様の御心がより明確に理解できる時があります。知恵と啓示の御霊をあなたがたに与えてくださいますようにとパウロは記しています。あなたにではなくあなたがたです。教会には確かにリーダーが存在しますがリーダーのみですべての事を理解し、決定しているわけではありません。教会の中に与えておられる神様の知恵、啓示を見分けて与えられている事柄をよりよく理解し、見極め、進めていきます。そこには一個人の限界を遙かに超えた働きがあります。主にあってそれぞれ与えられている賜物、思いを分かち合い、その時に応じて主の最善を歩んでいける教会として成熟していきましょう!

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