主とひとつとなる
賛美と祈り、礼拝を通して主と交わっていく時に主とひとつとされていくと聖書には書かれています。
主と交われば、一つ霊となるのです。とIコリント6章にはあります。
その前後を見ると性的な問題に対して婚外交渉の罪、
またその罪がどのような結果をもたらすかということが記されています。
特にこの主とひとつとなるということを見ていく時に、
私たちの礼拝という行為は主とひとつとされていく課程であり、
またそこから主の御心を知っていくということがより明確にわかってきます。
結婚し夫婦となっていく中でパウロはその手紙の中で結婚するとお互いのことを考えるようになるのでひとりで主に仕えるのもいいし、
結婚するもいいというニュアンスで自分の考えを述べています。
このお互いのことを考えるのがひとつとされた夫婦であり、
また礼拝の中で主とひとつとされていくならば私たちは長年健全で成熟した夫婦生活を営んで来たふたりがお互いをいたわり合うだけでなくお互いのことを深く理解し、
また相手の考えを熟知しているように、私たちは礼拝を通して主をさらに深く理解し、
体験的に知っていくことが出来るということです。
ただ一緒の空間にいるだけで理解することが出来ないように私たちは意識して神様を知ろうとしていく必要があります。
そしてその動機は愛です。
主の愛によって救われた喜びに満たされ、主を心から愛し、慕い求めていきましょう!