祝福を受け取るために
イエス・キリストの生涯の歩みを見る時に祝福というキーワードがとても大切な事の一つとしてあげられると思います。小さな子ども達を祝福されたり、そして復活後昇天される時には弟子達を祝福しながら離れて行かれました。この祝福という事柄を考えていく時に祝福とは何かということと、祝福を受けるために、また受け続けるためにはどうしたら良いかという問題が出てきます。神様からの励まし、というだけではなく、具体的に私たちの働きを成功に導くために注がれる恵み、神様がともにいて下さるという臨在、神様が与えて下さる力、そして神様が私たちのうちに働いて良い業を行って下さるということ、つまり祝福とは私たちの外側につくオプションのようなものではなく、私たち自身が神様と共に歩むようになる。ひとつの歩みとして一致していくという事だということを知る必要があります。主と共に歩むということは私たちはそのために整えられていくべきところが多くあるものです。ある時は信仰による決断を持って、ある時には聖霊による助けの中で私たちはきよめられていく必要があるということです。より祝福を求めていくプロセスにはこのきよめが不可欠な土台となっていきます。そしてキリストから目を離さず、信頼し、従うという信仰の基本に忠実になっていく時により祝福を実感し、歩むことが出来るようになっていきます。主の祝福のうちにとどまり、主の祝福を受けて、そして主の祝福を流し出す器として整えられていきましょう!