正しく心を燃やすために

心を熱くするような出来事が私たちの人生にはいろいろとあります。スポーツ観戦が好きな方は応援に行くと熱くなるでしょうし、コンサートなどでも好きな方にとって心燃やされるような時となるかも知れません。そこで注意しなければいけない点はその高揚感は一時的であることが多いということです。またそのような感覚を求めて進んで行き、敬虔が増えてくると比較するようになるので最初に触れた時のような感動を得続けるというのは難しくなることもあります。イエス様が弟子達にご自身を顕される中で彼らの心は燃やされました。そして次の出会いを楽しみにするというファンのような領域からイエス様が語られたことに従う本当の弟子、またひとりひとりが教会となっていくそのプロセスに入っていきました。イエス様に関する話を本当かどうかと吟味する過程からその中に入っていき、イエス様と歩みを共にする時にうちに燃えていた思いは一時のものではなく、燃え続ける信仰の情熱となり、またそれは飛び火していくものとなったのです。事実この思いを持って弟子達は迫害の中でもその火を消すことなく、遣わされるところどこにおいても主を証する者となりました。働きの統計以上に彼らの歩みは主と共にあったのです。私たちも教会の働きを見る評論家やファンのような視点ではなく、主が言われた教会の大切な器官として健康に機能する者となっていきましょう。

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