隠された宝を見つける喜び~マタイ13:44

子どもの時に宝探しをして遊んだことはあるでしょうか?決められた範囲内に必ず何かが隠されているという環境で遊びでやっていても見つけた時にはうれしいものです。また山や海できれいな石や貝殻を見つけてもとてもうれしく感じたことはないでしょうか?珍しい物、価値のある物を見つけたらとてもうれしいものですね。時として単にうれしいというレベルではない莫大なお金に繋がる発見をすることもあるでしょう。油田を見つけたり、金脈を発見したりした人はそういった劇的な体験からそこを開発出来るように土地を買ったり、所有権を得るように様々な手続きをして多くの富を手にした方もおられるでしょう。そういった富という側面ではなく、天の御国の価値観、喜びは畑に隠された宝のようなものであるとマタイの福音書13章に書かれています。そして自分の持ち物全部を売ってでもその宝のある畑を買うだけの価値があるものだと続いています。天の御国の価値観は私たちの根本的な考え方に大きな変化をもたらすものです。そして価値観、人生観のすべてに影響を与えます。そしてそれは喜んでしたい事柄なのです。嫌々するものではなく自発的、積極的にそのことをしたいと願う事柄です。私たちはイエス様を救い主として信じ、神の子として歩む人生にそれだけの喜びを見いだしているでしょうか?まだ畑の中に隠されている宝を見いだす手前でしょうか?私たちに与えられている権威の大きさを聖書からしっかりと読み取り、そして祈り、宣言する者となりましょう。初代教会のクリスチャン達もそのように歩んでいました。今の時代において、天と地をつないでいくことは本当に必要なことです。まず私たちが体験し、そして流し出していける者となりましょう。

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