主が言われる自己評価~ルカ4:18-24

資本主義社会の中で評価というものが常につきまとい、時として本来の姿とは全く違う評価になっていることがあると想います。

それぞれの特徴を把握するためにカテゴリーで分類すること、例えば理系とか文系ということであったり経歴から来る評価、あることが出来るか出来ないかだけで決められることなど、、、神様が言われることは私たちの価値は計りがたいもので高価で尊いものであり、私達を愛するがゆえにイエス様の誕生、十字架復活という犠牲を伴う愛を示し、救いの道を与えてくださいました。そして私たちひとりひとりには神様の召しが与えられています。

それほどまでに私たちは神様に愛され、期待され、喜ばれている存在です。しかしゼカリヤ書3章に大祭司ヨシュアの汚れた服(罪など)を神様の前にサタンが訴えているように私たちの弱さや罪を日夜訴えている存在がいるのです。私たちはイエス様がされたように主の前でその訴えを退け、また世の評価、価値観よりも主の思いを知り、揺るがないものとして主の前に打ち立てていくことがとても大切です。

みことばを土台として、主の思いを受け止めて揺るがぬ信仰の土台であるイエス・キリストに根ざしていきましょう。

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