十字架への備え~マタイ26:2
イエス・キリストの十字架によって私たちの罪が赦されるという神様のご計画には時代をこえた大きなご計画があります。聖書のひとつひとつの記述の関連性を見ていくと雛型と受け止めることが出来る似たような出来事が旧約と新約に展開されていることがよくあります。出エジプトの際にユダヤ人たちが滅ぼす天使から守られるために子羊の血を戸口にの枠につけるということをしました。そしてその出来事が現代でもお祝いされている過越の祭の最初の出来事でした。この血潮によって守られる。また救われるという体験をユダヤ人たちは代々語り次ぎ覚えてきました。そしてまさにその過越のタイミングでイエス・キリストの十字架という出来事がありました。旧約聖書においては罪の赦しのために生け贄として傷のない羊をささげる習慣がありましたがそのこととイエス・キリストが神の子羊として十字架につけられるということは深い繋がりがあります。アブラハムの息子のイサクを献げよと神様に言われたアブラハムは従おうとしたその瞬間に神様によって止められて代わりに羊を神様は備えてくださいました。父なる神様が子なるキリストを犠牲とされることがここでも雛型として記されています。つまりイエス・キリストの十字架という出来事はその時の感情の高ぶりや人の弱さの結果という見方よりもすべてを超えた神様のご計画の成就でした。それだけ神様に愛されている存在であることを知り、そんな神様の愛に応えていく者とされていきましょう。