みことばに生きる人~ヤコブ1:20-22

聖書には私たちが神様や人とどのように関わっていくべきなのか、またどれだけ愛されているのか、罪や裁きとはどういうものなのかなど実に多くのことが記され、また歴史上どのようなことがあったかということまで記されている本当に厚みのある書物です。

 しかし、その内容がどれだけすごくても、読まなければ意味がありませんし、読むだけでは聖書が書かれた意味を理解しているとは言えません。みことばを知るというところからみことばを実行する段階、そしてみことばに生きるというところにまで私たちの生活すべてに影響を及ぼすようになってこそ信仰の適応においての成熟といえるのではないでしょうか。

 イエス・キリストがどれだけの犠牲を払って救いの道を開いてくださったかを知るなからば、私たちは罪の中に留まり続けることから脱出していこうとするでしょう。なぜなら自分のために払われた犠牲の大きさがあまりにも大きく、それだけ自分が愛されているということを知ることは私たちが変わりたいと思う動機としては十分過ぎるくらいの重さがあります。
 
 そして私たちがみことばに生きるように変えられていく中で聖霊様の助けを実感することは神様に委ねること、従うこと、期待することなどより健全な信仰の成長へと繋がっていきます。みことばに生きる人と日々造りかえられていきましょう。

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